[コメント] 白い砂(1957/米)
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アリソンとアンジェラが見つめる水平線の向こうで、海上戦の爆炎によって雲が輝く様は、黙示録的な終末感を漂わせる。恐怖と不安に取り囲まれた極限状況が、二人の男女を空間的にのみならず心理的にも、一点に集束するようにして結びつける。日本兵も、基本、ロング・ショットで捉えられており、アリソンの眼前に現れた時も、剣道の防具を着けて、顔が見えない。日本兵は、無人島と化した島に取り残されたアンジェラとアリソンを更に洞窟の奥へと追い詰める、絶対的な他者として機能している訳だ。
茶色い服を着、顔を黒く塗って闇夜に紛れるアリソンと、白い服が緑の草叢の中に映えるアンジェラ。彼女は、その清廉潔白さの象徴である白によって、却ってアリソンの不安を誘うのだ。彼がアンジェラを洞窟の奥に匿う事と、外でナイフを手に日本兵の物を盗み取る事。「殺すなかれ」というキリスト教的良心と、それに反する行為とが、矛盾しながらも共存せざるを得ないという、この状況。
アンジェラは、「敵兵も尼僧には敬意を払うでしょう」と投降しようとするが、アリソンは「それでは心配で仕方がなくなる」と引き止める。だがその彼がまた、アンジェラに愛を告げて拒まれると、酒に酔い、もう島には誰も来ない、自分達はアダムとイヴだ、とアンジェラに絡む。大雨の中、外に飛び出したアンジェラは、その白い衣が泥に汚れている。彼女の純白を汚したのは、それを守ろうとしていた筈のアリソン自身なのだ。
寒さに震える彼女の為に、日本兵から白い布を奪って来たアリソンは、その過程で、一人の日本兵を刺し殺した。アンジェラが再び純白を取り戻す事と、殺人という出来事。こうした辺りに、アリソンがどれほど彼女を守ろうとしても、二人が決して相容れない事が顕わになる。
最後に味方の兵士達がやって来た時、アリソンは、「神の声が聞こえた」と言って、敵の砲台を封じに出ようとする。アンジェラは「本当に神の声なら、大丈夫です」と告げるが、アリソンは、命は無事だったものの、負傷して担架に乗せられる事になる。この、半ば程度しか神の庇護を受けられなかったかのようなアリソンの結果の如く、アンジェラとの関係もまた、友情は築けても、愛情を結ぶ事は叶わないのだ。
ところで、この作品の原題は「Heaven Knows, Mr.Allison」、「K」に続くのは「h」じゃなくて「n」。「天はご存知です、ミスター・アリソン」といった所か。この、言葉の末尾に「Mr.○○」と一々付け加える話し方は、キリスト教の尼僧の決まりか何かのようで、同じくヒューストン監督の『アフリカの女王』でも効果的に使われていた。
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