[コメント] 二十才の微熱(1992/日)
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若者たちのやり場のない苛立ちはひしひしと伝わってくる。例えば、彼らは話すとき相手の眼を見て話すのではなくふらふらと動き回りながら会話をする。ほかにも、ボールを力なく何度も投げてみたり、シートベルトを緩めたり引っ張ったりと、とにかく始終落ち着きがない。もどかしさは苛立ちの(ほんの一部の)顕れ。
一回目に観た時は鮮烈な印象を残したが、二度目の鑑賞ではむしろあちこちに違和感をおぼえた。どうも彼らは悩む以前の段階で「悩んで」いるのではないか。どうにも突き抜けるてくるものがない。とはいっても、こうしたもどかしい若き日日だって、いわゆる青春の一つのあり方なのかもしれない。しかし、本作よりも熱が「低い」『ストレンジャー・ザン・パラダイス』では独自のリズムで独自のステップで独自のダンスが展開されていた。それに対して、本作では「ダンス」のステップが聞こえてこない。
一番不満だったのが、主人公の男二人と橋口亮輔監督演じるオヤジとが争うホテルのシーン。その前までの展開で息詰まりの色合いが濃くなってきたところで、監督自らが登場する。ここで彼は彼自身が作り上げた二人の人格の前に敢えて匿名の存在として登場するのだから、そこで何か突き抜けるもの、靄を打開するヒントの提示を期待するのは当然だろう。だからこそ、この登場方法は北野武や塚本晋也などのように監督自ら主役を演じるよりも、重い意味をもったものである。
確かに、橋口の演技自体は作品をぶち壊すようなものではなく興味深いものであった。しかし、ここでの彼の存在は、主人公たちにどのような影響を与えたのだろうか。私には結局一緒になって助けを求めて泣き叫んでいるようにしか見えなかった。それなら一体何のために登場したのか。このくだりに観ていてむしろ緊張感が弛緩してしまった。唐突に登場するあの歌もとってつけたような感じがする。あの歌が説得力をもつような展開にもっていけていないという意味で、このクライマックスのシーンは不燃焼なままに終わったという印象をもたざるをえない。
微熱の中に眠る熱やビートを感じたかったが、本当に「微熱」のまま終わってしまった。ただ、ここまでド直球な悩める若者の群像劇がつくられたこと自体には非常に好感を抱く。それと採点とは別の話だが。(★2.5)
*改めてここでの片岡礼子のセリフまわしをみていると、その後いかに彼女が女優として成長を遂げたのか、また橋口亮輔がいかに演出力を高めていったのかが如実にわかる。
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