[コメント] REVIVAL OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2/Air/まごころを、君に(1997/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
1995年秋から'96年春までTV放送されたアニメの映画化であるが、TV版共々、今回('09年)やっと視た。再構成された新作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』は『:序('07)』『:破('09)』と来て『:急』も近いだろうから、そろそろ視とかんと、と判断した。だが『新劇場版』は『急』で終わりではない(全4作)上に『急』も何時掛かるのか判らんそうである。
前半の「DEATH(TRUE)2」はTVの総集篇であるが、TV版を視ていないものには全く理解不能である。そういう作りは映画として正しくないと思うが、そんな犯罪は『イデオン 接触篇('82)』や『ザブンルグルグラフィティ('83)』などで観飽きているので或る意味もう慣れてしまった。寧ろ編集に工夫してる所に微笑ましさを感じる。
こんなのは外に出すべきでない自慰行為だとか、子供のママゴトだとかいう話であるが、日本人は昔からこの手の自慰行為は大好きなようだ。脈々と流れる「私小説」の歴史だ。自らの恥部を晒し、それを周囲が喝采する光景はこの作品の遥か以前からこの国民の常態である。この映画の肩を持つのは躊躇われるが、人生にヘタレ続けると何だか許せる気にはなってきた。
終盤の展開(皆殺し)まで俺には富野喜幸(現=由悠季)の二番煎じにしか見えないのだが、二番煎じでもそれなりに盛り上がっている。TV放映当時の熱狂振りを知らない(回避した)俺からすれば、庵野総監督自身はTV版も映画版も結構ちゃんと(普通に)創ったんじゃないか、と思えてしまう。
最後のアスカ(宮村優子)の科白「気持ち悪い」も、深いところの底意としては色々あったかも知れないが、普通に「自分大好きなシンジ君は勇気を振り絞り自分からイヴを切り離しましたが、イヴの最初の言葉は「気持ち悪い」でした。他人は甘くないのですよ」というオチで受け取っていいのではないか。
個人の心の問題が世界の有り様とリンクしているという考えは、それを自分のものとして共鳴し得ない場合、どうしようもなく醜い妄想にしか見えないだろう。個人にとっては心の問題=世界の問題であったとしても、通常の成長物語は「客観性」を語る訳で、この表現の倒置は突き抜けているとも言えるし、それこそ全体主義へと繋がる危険思想とも言える。
物語としては謎の回収をもっとしてくれても良かったが、これでもいいだろう(新作ではどうなっているか楽しみだ)。ただ冬月副司令(清川元夢)と碇司令(立木文彦)の表現にはいい加減苛ついたし、終盤のアスカの観客迎合的「復活」には違和感を持った(それだけで致命的とも言えるが)。人類同士、秘密組織NERVとその上部組織SEELEの間に確執があるのだが、どこで争っているのか結局よく解らない。予定調和からはドラマもパッションも生まれ出ないのだから、そこはもう少し上手く描いて欲しいものだ。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。