[コメント] 拳銃王(1950/米)
キングが築き上げた間然するところのない一個の世界。その前のめりに連続的な時間感覚と成熟した豊かな語りの高次の並立は、鮮明に取られた奥行きと的確な移動撮影によって基礎づけられている。酒場の天井が写るカットの空間把握はグレゴリー・ペックの孤独を際立てるなど、美術も美的かつ心理的に設計されて水準が高い。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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西部一と云われるペックの早撃ち、その「速度」はどのように演出されているか。まず、カメラは決してペックが拳銃を抜くないし撃つ瞬間を写さない。相手方が拳銃を抜いた刹那、画面外のペックの発砲音響が鳴り響き、と同時に相手は倒れるというリアクションを取る。その直後のカッティングによってはじめて拳銃を構えた(撃ち終えた)ペックの姿が写し出される。すなわち、ここではペックの拳銃を抜く・撃つ動作を見せず、もっぱら音響とカッティングによって速度が表現されている。あるいは、こうした演出はさほど独創的なものではないのかも知れない。しかし音響・カッティング・演技が完璧なタイミングで処理されているため、「強そうに見えない」ペックの「西部一の早撃ち」ぶりが説得的に具体化され、ひいては物語に正当性が与えられることになる。
また、ペックの最期の言葉は自分を撃った「後継者」に投げ掛けられる。ここでペックと妻子の悲劇的な別れを描いたほうが「泣ける」はずであることは云うまでもない。しかしキングはそうしない。ここに描かれているのは、死に際においてすら平凡人らしく妻子とともにいることが許されず、後継者に「呪いの教え」を説かずにいられないガンファイターの性と悲哀なのだ。『拳銃王』あるいは“The Gunfighter”としては当然の末路であり、キングの描くその「当然ぶり」が私たちの心を震わせる。
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