[コメント] 太陽の帝国(1987/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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例えば初めの方で、日本軍の侵攻が近いことを知った父親が、重要書類(と思われるもの)を暖炉にくべて燃やすシーンがある。後に少年から、この父親が単に紡績会社の社長だったと明かされるまで、何かストーリー上意味のあるシーンかと思っていた。もちろんその後はまったく触れられない。要は、「会社経営者の子息」であれば、「戦争時に見聞きしたとしてもおかしくない」エピソードの一つと紹介されているに過ぎない。
基本的に、あの戦争期に主人公の少年が体験したエピソードが、時系列で羅列される構成で、一つ一つにさほど強い連関はない。一応、少年の成長譚として見るとなんとか意味を成すが、それでも無関係なエピソードが多すぎる。タイトルもあまりにストレートで、何か裏の意味でもあるかと勘ぐりたくなるが、まず我が日本国のことと考えて差し支えなかろう。あの戦争時における大日本帝国の興隆と衰亡を、それが少年の上に投げかけた光と影によって描いたと考えて、初めて意味が分かる。
そう考えると、光と影の使い方が意識的であることに気づかされるが、それはまあいい。日本人としては、開戦時に8歳?だった少年の心に(我が)零戦がヒーローであったと、フィルムに記録されたことが嬉しくもくすぐったい。その少年は、4年後には米空軍の”空のキャデラック”P51を歓喜して迎えるんだけど、その純粋な心に訴えていたところがまたいいじゃないか(同時に悲しいが)。
別に文句つける筋合いのもんじゃないが、日本とは縁もゆかりもないはずのスピルバーグだが、どうして日本のこと描いてくれたんだろう、とは思う。ただ、確かに日本軍の描き方に変なところあったけど、これは特に悪意があったわけではなかろう。日本軍に対する見方、ってのがだいたいあって、スピルバーグも普通にそれに影響を受けているので、映画に出てしまった、ってだけだろう。個人的には偏見で描かれることに馴れ過ぎて、悪意に抑えが効いているだけで、充分好意に満ちた描かれ方の様に感じちまった。
導入部と、コメントに書いたラスト・シーンのみ、少年の視点が介在しない。揚子江に水葬された棺を蹴散らし航行する日本軍の艦船が導入部で、ラストは少年が捨てたスーツケースが、広い揚子江で小さな木の葉のようにプカプカ漂う。これが日本を象徴するのだと考えると、ちょっと悲しい。
80/100(03/08/24記)
追記:スピルバーグによれば人間とは「イモ一つのためになんでもする」存在であるから、これは「日本人にイモを与えた」作品であると解する事が出来る。将来自分の切実な問題を撮った時に、アカデミーを取る為に。だがクリスチャン・ベールが最後にジョン・マルコビッチに与えた侮蔑的な視線は、そんな”アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ”に対する訣別だと見て取ったのだが。
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