[コメント] パウダー(1995/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
前半導入部は、重苦しい話のようにスタートしておきながら、突如としてSF化していく不思議さ。最初スプーン曲げるのか?と思ったら、ポルターガイスト現象。なんだ、白くてよわっちいという設定はもうどこかへ吹き飛び。こいつエスパーじゃんか。しかも、とんでもなく天才でとんでもなく強い。
おお、これは弱いもの応援系の、ストレス解消ムービー(ハリポタ系?)なのかと思ったら、中盤からラストにかけて、急に宗教的に。全てが繋がっているなんてどことなく仏教的。全てに霊が宿るなんて、どことなく神道的。
で、最後のギガデインでぶっとんでしまいました。
−−−−−−−−−−−−−−−追記−− 疑問点等
まず、この映画のテーマといえるものがはっきりしない。テーマがなければいけないかというと、必ずしもそうとは言えないのだが、制作側があまりに多くのネタを仕込み過ぎてしまっていて、焦点が定まっていないように感じた。
導入部からは、どうやら、差別や、偏見などを扱うのかと思わせつつも、実はこの主人公が「非人間的に強く天才である」という事実によって、その印象が消え去ってしまう(というか、私はそう感じたのである)。差別・偏見というのは、実際は普通の人間と同じなのに、ある一点を理由に、または理由にもならないようなことを元にして行われるものはなかろうか。
パウダーは、普通の人を遥かに超える頭脳と、金属を操る(引き付けるだけでなく、あれは恐らく操っている)能力、電気ショックを食らわす能力、そして更には人の心を読む能力、人に何か(素晴らしいもの・恐ろしいもの)を見せる能力まで持っているのである。これは明らかに人間を超越した存在であり、神に近い存在のように思われても不思議ではない。
しかし、先生達は、パウダーの能力がすばらしいことは知りつつ、普通の人間に接するかのようにしている。これは不思議でならない。これほどの神がかり的な才能を目の当たりにすれば、人間の心には「畏怖」のような感情が芽生えてもおかしくない。さらには、パウダーを苛める青年達。彼らはパウダーの能力の恐ろしさを見せられているというのに、何故苛めようなどと思えるのか。自分の身が危険になることは充分にわかる筈である。出来たところで、陰口は言うがそばに来られたら逃げるという程度ではないか。
パウダーのような存在を知った人間はどうなるのか。普通に考えれば、「畏れを感じて崇める者」と、「畏れを感じて蔑む者」とに分かれていくのではなかろうか。 「全てのモノは繋がっているんだよ」という思想は前者に受け入れられ、新興宗教のように広まっていくだろう。そして、後者の者たちは、「あいつは悪魔だ。神に反抗した者だ。」と責めたてる。そんな構図が生まれて来るのではないか。
さらには、この話は、「偏見・差別」を助長することにもなりかねない。見た目が普通の人とは異なっているパウダーだけれど、内面は普通の人間・・・ではなかったのである。「あぁ見た目も普通じゃなかったけど、やっぱりタダモノじゃなかったんだな」とならないか。特殊な能力も持たず、天才でもなく、ごく普通の十人並の人であってこそ、差別や偏見への疑問を、視聴者に与えられるのではないかと思う。
そして、「父にひどいことを言われて傷ついた」と言うのは、生まれたその日のことを覚えているということだろう。結局パウダーは、体格の良い警官を狙撃不能にして、もう一人の警官の奥さんを昇天させに来たのだろうか。
ラストのギガデイン状態も、彼は生命を超越した存在であるから、この自然界のエネルギーの流れと一体化したという、ハッピーエンドのような状態ではないかとも思う。或いは、人間界からの逃亡か。非常に理解に苦しんだ。
−−−−−−−−−− 最後にもう一つの疑問
車にも電子制御部品は沢山使われていると思うんですが、何故彼を乗せて走れるんでしょうか。
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