[コメント] 落下する夕方(1998/日)
原作を読んでから映画をみたので、映画だけみたらどう思うのかは、残念ながら体験できない。本で読んだ時の、いたいたしくて、息苦しくて、かなしい、静かな雰囲気は、映画だけみても感じられたんだろうか。
この映画が、本とセットになって存在するものじゃないといいのだけど。映画が先か、本が先か、どっちがいいのかもわからないけれど、両方経験してみても悪くないと思う。そんな仕上がりの映画でした。
それでも、原作を読んで映画をみるというのは実は初めての経験で、どんなものかと思ってましたけど、これがなかなか面白い。どうしてか。私は私の読み方で本(物語)を読み、この監督も彼女なりの読み方で本(物語)を読み、脚本を書いて映画にしたわけです。その出来上がった映画をみて、ああ、こういう読み方をしたんだなあというのが感じられたから。それがとても興味深かったのです。本当は、「あのセリフは入れて欲しかった!」とか、「華子をもっと出して欲しいのに」とか、 「”ミリンダ”も出てない」とか、ちょこっとずつ自分が感じたものとのズレが見つかって、それがちょっと残念だなと思ったの、最初は。けど、ああこれは、他の人が読んだ「落下する夕方」の感想なんだ、と思ったら、違う角度でみるのが新鮮に思えてきた。
根本的な違いは、たぶん、私が原作の本を失恋の物語として読まなかったところにあるんだろうと思う。パンフレットに、ある事件が起きて失恋が完成したというようなことが書いてあって、なるほどと感心もした。私は、奇妙な関係の女の子二人の物語に読んでいたから。もともとの媒介者である男の存在は、ほんとにあくまで添え物としてみていたんだなあと気づいた。映画によって、違う角度で物語をもう一度体験して、本を読んだ時に抱いた疑問の、違う答えが出てきそうな気もした。
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