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[コメント] トゥルーマン・ショー(1998/米)

もう少し哲学的な物語だと思っていた。「我、夢で蝶を見るか、蝶、夢で我を見るか」
おーくらくん

“覚めるまでが夢なのか、覚めてからが夢なのか” 情報が氾濫する現在、情報を自分の認識として取り入ることが容易になってきた。だが、そこには認識への知覚は働く一方、自分の体験への感覚が弱まってきているために、自分の行動を自分のものとして認識することの弱化と、情報として取り入れたものとの区分することの困難が発生している。 ふとした瞬間に、自分は自分でないのではないか、という感覚におそわれることがある。つまり、自分が現在認識している感覚は“実際に”経験しているものではないのではないかという懐疑と、体験の現実感の喪失である。 僕が勝手にこの物語に期待していたのは、誰しもがトゥルーマンでありうる可能性、すなわち自分という存在に対する認識の再確認を啓示した作品ということだった。けれども、結局は、トゥルーマンの活劇となってしまっており作品自体に哲学を見出すことができなかった。 先の箱庭的発想は、『トータル・リコール』、『マトリックス』に代表されるSF映画がその典型であるが、僕は同種の映画であるとの先入観を持ってこの映画を鑑賞したがゆえにその魅力を味わうことができなかった。 通常のいわゆるハリウッド的映画という枠組みでこの作品を再度捉えようとしても、素直に面白いと感じることができなかった。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ロープブレーク[*] さしみ

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