[コメント] キュリー夫妻・その愛と情熱(1997/仏)
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全く関係ない(かも知れない)ですが、雲仙普賢岳の火砕流で死亡した外国人火山学者の夫婦を思い出しました。(あの悲劇以前にNHKで彼らの特集番組をやっていて、生前からぼくは彼ら夫婦を知っていました。) 研究に生きた同志=夫婦としてはキュリー夫妻と同じといえるでしょうか。この映画には、物理学と化学、生物学や薬学がまだ完全に専門分離されていなかった頃の旧き佳き科学の時代の薫りがします。
DVD解説によると、1995年のパンテオン(偉人廟)への改葬時に、マリー=キュリー女史の死因(白血病)が、従来信じられてきたラジウム発見の際に浴びた放射線に由来するものではなく、第一次大戦時に夫妻が行ったレントゲン車による救護活動によるものである事が判明したそうです。キュリー夫人といえば科学の発展のために尽くしその身も科学に捧げた人物として知られていますが、仮に白血病の主因がラジウムでなくても、夫妻が放射能の恐ろしさを知らずに科学的発見に胸躍らせて研究に没頭していた事は、切なさを禁じ得ません。(また蛇足ですが、キュリー氏は通りを横断する時に荷馬車に轢かれて亡くなった、と。映画ではこのエピソードを少々残酷な皮肉で取り上げていました。)
日本人にとって「放射能」の三文字は物理学用語以上の意味を持ちます。しかしキュリー夫妻がおらずとも何時かは存在し得る全ての元素は発見され、放射能は研究されていった事でしょう。科学は研究され、進歩していくべきでしょうが、その過程にはこの映画が提示するような「態度の選択」があるのだと思います。
受勲と出世しか頭にない物理化学学校の校長シュッツ氏の人物造形は、やんわりと現代の科学者像を批判しています。自らは参加していない発表でも上司が名を連ねるのが慣例となっている科学の一分野を知っている者としては、彼は「そこら中にいる人物」です。そんな彼が唯一キュリー夫妻のためにした偉大な仕事とは、周囲の悪意ある干渉と排除から純粋な科学研究を保護した事でした。原題の『シュッツ氏の勲章』とは、シュッツ氏(現代科学者)の俗物性と彼の行った偉大なる貢献(不干渉な環境整備と保護)の二つを意味しているのです。
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