コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 機動警察パトレイバー 劇場版(1989/日)

恰も、既に街が水没した後の、虚ろな海に浮かぶかのような、方舟。(『攻殻』にも少し言及→)
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







原作のマンガを全巻揃えているほどのファンとしては、中途半端に写実性を付加した、イモ臭いキャラ造形は大いに不満。ただ、一連の押井作品史の中に置いて見れば、学園祭的ノリを残しながらも、以降の作品群を貫く主題が描かれている点に、興味津々(因みに「可能な限り戦闘は避けろ」云々の台詞も、『イノセンス』が引用)。主人公たち第二小隊、つまり開発に狂奔する権力側の出先機関である筈の警察が、人々の生活を守る為、開発の進行を疑問視する立場に立たされる逆説が本作のミソ。後の『攻殻』でも、公安警察という、より権力の内部に密着した機関に所属しながらも、むしろそれ故に、国家という枠組みを‘体ごと’突き破ろうとする、よりラジカルな表現が見られる。

見る人が見れば分かる筈だけど、劇中、ヒッチコックの『』の一場面からの引用と思しき場面がある。鳥たちが、人の居住空間を占拠し、無人化する…、本作には、そんな光景への憧れと恐怖の入り混じった興味が感じられる。『』の、壊滅する街を鳥瞰した映像は‘神の目’と呼ばれた。これは合成映像、機械が作り上げた現実であり、それと同様、本作の犯罪も、半自律的となった都市=機械が無人空間を欲したかのように進行する。聖書では、ノアが放った鳥が若葉を咥えて帰り、洪水の引いた証拠を示すが、本作で提示されるのは、全く逆の光景。「大なるバビロンは倒れたり、(…)諸々の穢れたる憎むべき鳥の檻となれり」(≪黙示録≫)。全ての生き物を載せる筈の‘方舟’に、機械しか居ない皮肉。その辺りは、一見すると全く作風の違う『天使のたまご』から、引き継がれた要素だと言って良いと思う。

この作品で、一つ、救いが感じられるのは、野明が、自分の搭乗機に付けた名‘アルフォンス’が、昔の飼い犬の名だと語る場面。帆場が仕掛けた罠に遊馬が気づくのも、「犬には、人間に聞こえない音が聞こえる」という話がヒントになっての事。押井監督の言によると、犬は、常に人に寄り添う存在。犬は、時に権力の犬とも呼ばれる警官に、システムより人を守れ、と警告しているのか。

冒頭で帆場は、街へ向かって鳥のようにダイブし、自らの身体性を抹消することで、都市の中に神の如く遍在(ユビキタス)する存在となる。これはまるで『攻殻』冒頭の素子のダイブと、情報化都市への融合の予告のようだ。帆場の死体は上がらなかった。『攻殻』で‘人形使い’は言う、「死体は出ない。なぜなら、今までボディは存在しなかったからだ」。「鏡で映したように似ている」素子と‘人形使い’は、、生身の人間性と機械化との葛藤を超越する存在(超人?)として、帆場の分身なのだ。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)DSCH[*] t3b[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。