[コメント] 完全なる飼育(1999/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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主従関係。その事件での犯人と被害者の関係。夫婦間での力学。時代錯誤だけども、結婚とは男が相手の女性の家から誘拐するようなモノ。それにお見合い結婚(特に政略結婚など)なんかは誘拐の中の誘拐だろう、心を誘拐するのだから。
(この作品の場合は後者の“お見合い”に属しそう。かと言って非難されそうだから言っておくが、お見合い結婚でも幸せになる権利はあるし、幸せになる可能性はいくらでもあるという考えを私は常時携帯しています。恋愛結婚でも不幸になるのだし。)
その両方の問題をダイレクトに提示するのではなくて形を変えて、時代に沿わせて、時代の事件性を伴った展開は、さすがは新藤兼人といったところだろう。そこにあるはずのダサイ封建的であるはずの存在をユーモアに笑い飛ばす。流石すぎる新藤兼人。
それを巧く、和田勉は割と表現できているように思う……が、しかし最初の音声さんによる「音割れ」や、小島聖の舞台演劇(オペラ)級の大声演技などを無視すればの話だが。
和田勉は濡れ場の演出指導の場は恥ずかしくて立ち会わず、演出を放棄し、小島&竹中に引導を渡したそうな。仕方なく2人で濡れ場を考えて演技したらしい。これは噴飯級だろう。脚本の書き手の偉大さから漂う重圧や、身分不相応とし自分を卑下してしまった和田勉の苦悩はわからんでもないがイカンだろ。
誰もイニシアチブを取らずに澱んだ撮影現場にいて、ここまで自分が演技で駄作を名作にしようという心意気と女優魂の生成は和田勉の職場放棄なくしてなかっただろうから複雑。あえて私は、この作品の監督は小島聖とし、心に刻みたいと思う。彼女と彼女のオーバーアクトは映画の神が使わした天使だと解釈して思いたい。
また、養分として竹中直人を喰ってビックバン的に成長した小島聖が監督主演した映画であり、和田勉の作品ではない……と、言うのは可哀想だから少しフォローを入れると、小島聖のオーラは強烈すぎた。
作品の内容同様に、撮影現場でも主従関係は逆転していたのかもしれない。
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…で、今回、見終わって思った。
「和田勉の駄洒落を私の上方駄洒落で飼育したい。」
この映画について誰かに罵声を掃射されたら言ってやれ和田勉。作品内で駄洒落言ってない分、弁明を言ってやれ和田勉。
『監督ってのは“勘”と“苦”が合わさった言葉なんだよね。ガハハハハ…ハハ…、面白くないって?どうやら俺に関しては監督ってのは“寒”と“苦”だな!ガハハハハハァハァ聖ちゃんハァハァ…』
あれっ、これじゃあ弁明じゃなくて“勉迷”じゃん!ガハハハハハ!
2003/2/23寒風やまず。
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