[コメント] ライフ・イズ・ビューティフル(1997/伊)
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ありふれているようでそうではないかもしれない。見た直後、素直に泣いてしまった。一方で印象があまり残らなかったのだけど、時間が経つにつれていろんな事を考えた。「いろんな事が、浮かんだと」とも言えるかもしれない。浅くて深い、何とも言い難い作品だと思う。
この映画は、ナチの強制収容所の凄さを描いていない。そこでの無惨さや悲惨さはあまり触れていない。私はそこでどんなこと事が成されていたのかを知識として知っているので、それらの知識をこの映画では描かれなかった部分を補うものとして使用した。ロベルト・ベニーニはどういう意図でこのように描いたのだろうか?つまり、強制収容所でありながらその悲惨さは描かなったことについてである。すでに歴史的知識があることを前提とし、完全に表現された映像としてはなく、断片的な映像を用いて無惨さ無惨さを喚起しているのだろうか。というのも、この映画では直接的に「死の恐怖」といったものや、「泣き叫ぶ人」はほとんど出てこない。しかしながら、貨車に詰め込まれた多くの(無口な)人々、ストライプの作業服、山のように積まれた衣服、シャワー室のような場所に入っていく老人達。そういった断片的な映像が私の知識もしくは記憶に働きかけ恐怖を喚起する。もし、ナチの強制収容所で行われていた出来事についての歴史的知識がない人にとったら、その断片的な映像が伝えようとする所が分からないだろう。あの老人達があの後どうなったのかなんて分からないと思う(何も知らない子供などの場合、教えてあげる必要がある)。この点(ベニーニの意図)は、良くも悪くも「むむむ」と少しうなってしまうところ。
続いてロベルト・ベニーニ扮するグイドの存在についてであるが、おそらくこの映画は、この人の存在がメッセージであるように思う。彼のユーモアというかジョークにはなんかこちらが閉口してしまう所もあった。特に、貨車の中で息子に対して言うせりふの時などである。しかし、彼のこのユーモアやおどけたような行為が必要な状況があるのだと実感した。例えばナチがしたことのように無力感・虚無感を感じる状況の場合、人は絶望し無気力になってしまう。そういったものを前に、グイドは常にポジティブだった。これってすごいことだと思う。私たちの意志や抵抗なんてきかない状況。これほどの苦境・地獄はない。
はじめに言った、「浅くて深い」という言葉。表面的な映像として受け取るものは浅いけれど(でもこれさへも観る人による。映像自体は美しい。)、それを通していろんな事を考えさせられる、または再確認させられる映画である点において深いと思う。だから観る人によって感想はそれぞれだと思う。でもこれって、この映画に関わらず、他の映画やまたは音楽にも言えることなんだろうけど。
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