[コメント] 深い河(1995/日)
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自分も含めて、日本人は卑怯者である場合が多い。面倒臭い戒律や儀式、禁忌を嫌って無神論者を気取る。そうしながら、心の片隅ではあえかな全能者の威光にすがり、その力を分けてもらおうと寺社参りをする。そして、日々神仏に礼を欠かさぬ者を蔑み笑ったりする。
この物語の陰の主役である大津も、そうやって笑われてきた男だ。彼はヒロインの慰み者にされたあげく捨てられ、神の道を進むことを決意する。だが、彼の体内に流れる日本人キリスト者の血は薄まることはなく、破門同然にイスラエルへ、そしてインドへと流される。そこでも彼は、傲慢にはならずとも日本人としての心は持ち続ける。そんな彼の死に至るまでの頑固だが熱心な神に殉ずる心は、丁度ベルトルッチの『リトル・ブッダ』の主人公たちとは対局のところにある。大津はインドにあって、インド人たちが行なう礼拝に加わり、ともにガンガーの河原まで死体を運び、その体を焼く。そして彼はそのことによってキリスト教への信仰を深める。そして、荼毘に付される死体を撮るカメラマンの卵を止めようとして事故に倒れる。彼の一生は、ヒロインに死を看取ってもらうほかに報われることはなかった。だが彼は、許しを得たことをおそらくは確信しながらおだやかに絶命する。
神は、妻を失った男をその生まれ変わりと対面させることも、葬式をフィルムにおさめた者を罰することもしない。無力なる神は、ただ心の許しを与えるだけの抱擁をもって信者を迎えるのみである。これは異端ながら純然たるキリスト教映画であり、同時に紛争を繰り返しつつも少しずつ手を携えようとしている汎世界的な宗教の物語である。
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