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[コメント] リトアニアへの旅の追憶(1972/米)

詩人の「日記」を読む。さて、彼の「詩」は・・・、読んでみたいとは思わない。
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不謹慎を承知で言えば、これは、偶然の勝利。

映画作家として、または語り手として、ジョナス・メカスの才能が魅力的とは、僕はほとんど思わない。僕には、この映像群が優れて「詩的」とは感じない。詩人なら、これぐらい撮るだろう。鑑賞中も、僕が敬愛する詩人たちが活躍していた時代に、カメラがあればどんな映画を撮るだろうと、そればかり考えていた。

彼の境遇とリトアニアの風景、それぞれが「彼が」ではなく、「彼のカメラが」遭遇できた<偶然>としては光る。しかし、「カメラが遭遇した対象」と「彼の語り」は乖離し、しかも相殺している。<必然>を回避したかに見せて、実は、非常に意図的で、作為的な<偶然>。観客は、この映画のコンテキストと共に「誘導尋問」されていると言っていい。

しかし、それを非難しているのではない。実は、それこそが「ドキュメンタリー」だと僕は考えている。(だから、★3にした。)

ただ、それは詩人の「仕事」ではない。(*追記) しかも、それをしてしまうと詩人のことばの力は朽ち、遅かれ早かれ死んでしまう。彼がどんな詩を書くのか、どんなことばを綴るのか、僕は知らない。それに、この映画を見た今、少しも読みたいとは思わない。

*追記:詩人は映画やドキュメンタリーを撮るべきではない、という意味ではないのであしからず。

(評価:★3)

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