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[コメント] 暴力脱獄(1967/米)

まるでポール・ニューマンセガールばりの格闘を披露するかのような邦題に相反して、概ね囚人の生活を淡々と描いたタッチが好印象。平穏とさえ思える日常に潜む足枷に徐々に抗いゆく主人公。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ルークの他の囚人たちはしょっちゅう賭けに興じているが、本当に身を賭した挑戦を実行(それも三度)するのは、ルークただ一人。だがルークの闘いは、この囚人たちとの関係の中で描かれてもいく。道の舗装をさせられる囚人たちが、ルークの提案に乗って急ピッチで仕上げてしまうシーン。懲罰として大量に盛られたルークの飯を、囚人たちが一人一人、ひと掬いずつ取っていくシーン。ほんの小さな助力の集まりによる、大きな力を感じさせる。

囚人たちが、水を飲んだり汗を拭ったり服を脱いだり、些細な行動にもいちいち許可を求めなければならない様子や、沈黙の看守長のサングラスに、彼の管理する世界が映し出されているクローズアップに見られるように、管理者側の絶対権力が示唆されてはいるのだが、その抑圧が囚人たちを苦しめる様子は、それほど感じられない。大人しくしていれば、刑期が終わるまで割に気楽に暮らせそうにさえ思えてくるが、ラスト・シーンでルークが教会に身を隠して神に訴える場面からも推測できるように、ルークが求める自由は、この世の彼岸にあるものなのだろう。彼の最初の脱走も、母の死がきっかけだった。また、そもそも彼が捕まった理由である、パーキングメーターの破壊も、ただ何となくやってしまった、無意味かつ無償の犯行なのだ。

卵50個食いを達成した後にテーブルの上で両腕を広げて仰向けになるルーク。これは十字架磔刑のポーズだろう。ラストシーンでもこのカットが挿入されるが、加えてラスト・カットでは、俯瞰ショットで捉えられた十字路や、そこに被さる、脱走したルークが女たちを侍らせている写真が、十字に裂かれていることなど、キリスト昇天のイメージを構成している。

こうした宗教的な暗喩が、卑近な日常と重ね合う形で描かれている点が秀逸だ。序盤での、ブロンド娘の扇情的な洗車シーンも、その光景に囚人たちが皆憧れる様子によって、「女」に「解放」のイメージを纏わせていたと言える。そうしてラスト・カットでの、女を侍らすルークの写真が、彼自身が言っていた「合成写真だ」という台詞と相俟って、現実の向こう側にある自由と安息のイメージへと昇華する。

劇中にさり気なく現れていたルークの笑顔が、最後にフラッシュバックで連ねられるシーンには、何げない日常に閃く幸福と恩寵の存在に気づかされ、鮮烈な感動を覚えた。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] Orpheus

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