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[コメント] さらば愛しのやくざ(1990/日)

☆2。そんな簡単に背中のモンモンを見せんなよ。(12年前観たこの映画の感想と採点を記しておく。今回中野で見直してみるけど、さてどう変わるか。・・・しかしもはやこれは仁侠映画ではないよな):→観ました02/05/18
G31

やくざ=青春の想い出。それにさらば、って話で、単に青春にさらばするだけでなく、廃れゆくヤクザ道みたいなものへの追憶を込めようという、欲張りな試み自体は評価する(それくらいのものがないと一本の映画を撮る意味がない)が、日本映画の常で、どっちにも失敗。刹那刹那の印象的な映像がかろうじて鑑賞に値するのみ。

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中野仁侠映画入門もこれで7本目。この映画が世間一般で「仁侠映画」と呼ばれているのかどうか知らない(たぶん呼ばれてないと思う)が、今から12年前に作られたこの「ヤクザ映画」には、もはやニンキョウのニの字も存在せず、登場人物は皆、自身の私利私欲のために行動する。

義理の前に私情を捨て去るのが任侠道であり、任侠映画という厳格な様式を誇る枠組の中で、捨て難き私情の部分を極限に誇張して描き、それでも捨てねばならないが故に生じる懊悩や煩悶、そこに身をよじるのが任侠映画の醍醐味、とわずか7本で決め付けちゃってるわけだけど、この作品は私情持ち込み自由、という感じ。

この映画が任侠モノでなければ、別にみんなが私利私欲で動き回るのは普通のことだし構わないんだけど、問題は善と悪の構図を持ち込んでいること。ボクサー崩れのヤクザ・藤島五郎(陣内)が、どうしてオールド・スタイルのヤクザ道にこだわりを持つのかもわからないが、特に後半部は、血縁家族の為の身内意識という、私情の最たるものを行動原理にして暴れる。これが善なら、麻薬事業に手を染めて組織の隆盛を図った大竹まこと(役名忘れた)の側も善でなければおかしい。善対善(あるいは悪対悪)の対決ならもう少し面白くなったと思われる。

麻薬が悪で、麻薬を阻止するのが善という価値観は、「お上」のものであり一般市民のものだ。もちろんヤクザにだってモラルはあるだろうが、ヤクザ組織の興亡を決めるのはモラルではなく力であるはずで、その力の背景は経済力であるから。

80年代という、日本経済にとって最も幸福な10年を商社マンとして“世界を股に掛け”過ごして来たチューマ君(柳葉)に、その面影がまったく感じられない点もあわせて評すると、経済を描けてない、ありがちなダメダメ日本映画のワン・オヴ・ゼム、ってところかな。

フツーの一学生がちょっとしたきっかけから意地を突っ張ることで、別世界を垣間見るという冒頭のシーケンスと、兄貴分が煙草を咥えた時にサッとライターを差し出して火を着ける、ヤクザ一流の卒のなさがさりげなく描き込まれていたあたりは良かった。あと私の価値観から言うと、海辺で3人で抱き合うシーンは作り過ぎと感じ×(ペケ)。手錠を掛けられた両手を頭上に掲げるシーンは、そんな中でも無理を感じさせず◎(二重丸)。

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評価変わらず。65/100

(評価:★2)

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