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[コメント] 死刑台のエレベーター(1957/仏)

メルセデス300SLに助演女優賞を捧げたい。
SAI-UN

角川映画でリメイク版が上映されると知って、あらためてDVDで鑑賞したよ。

「死刑台の・・・」を”犯罪サスペンス”と評する方が多いようだが、僕にはもっと「都会の閉塞感」というか「その閉塞感からの脱出願望」というか、現代にも通じる普遍的なテーマを感じる。古典と言われる名作でも、正直いま観ると「どうだか」という映画が多い中で、この映画に古さを感じない(僕は、だが)のは、現在でも共感できるテーマが、その底流にあるからではないだろうか?

ここで、この映画が生まれた時代背景を少しばかりおさらいしてみる。 1950年代のフランスといえば、第二次大戦後、インドシナやアルジェリアと植民地の維持をかけた戦争に突入した時期。次々と独立蜂起するかつての植民地に翻弄され、植民地の是非を巡って国論は紛糾し、政治的にも混乱していた。1954年にはディエンビエンフーの戦いでベトミンに大敗を喫して、フランスはインドシナから撤退している。その一方で、かつての敵国ドイツや日本は奇跡的な経済復興を遂げつつあった。 負け続ける「正義なき」戦争。経済の低迷。

Lycaonさんの「箱」という上手い表現を借りれば、この時期のフランスも、いまの日本も、世の中全体が出口の見えない「箱」の中に閉じ込められたような状態なのではないか。

そんな時代背景を踏まえて映画を観てみると、かつて英雄だったはずのジュリアン(モーリス・ロネ)も、社長夫人として贅沢三昧のはずのフロランス(ジャンヌ・モロー)も、不倫関係にあるこの二人に笑顔がないことに気づく。不倫に走るジュリアンとフロランス、無軌道なルイとベロニクの馬鹿ップル。一見対照的な二組のカップルは「箱」の中で窒息しそうな(当時の)フランス庶民のメタファーではなかったか。 現代の若者がどうしようもない日本に絶望して「自分探しの旅」に突然出かけたり、自殺したりするのと、この映画のテーマは共通しているような気がしてならない。

そして、僕の印象に鮮烈に残るのが、例えば、劇中の「メルセデス300SL」の登場シーンだ。 真夜中の高速道路を、稲妻のように疾走する銀色の車体は、まるで澱んだ世界に舞い降りた天使のように美しい。ルイは思わず叫ぶ。「メルセデス300SLだ!」 そうだ。戦争に負けたはずのドイツ。戦勝国のはずなのに惨めなフランス。そのワンカットに、若者の悔しさが滲む。300SLは、閉塞した「箱」から開放して「此処ではない何処か」に運んでくれるかもしれない(ある種の)「脱出装置」として象徴的に画面に登場する。そして、300SLという名優がみごとにその役を演じている。

もちろん、携帯電話なんかなかった時代だし、直接的な表現を避けて「行間を読ませる」ような演出だし、それなりに観る側の想像力や感性が試される。しかし、登場人物の演出も台詞も、舞台そのものや登場する小道具さえも、計算されつくされ一部の隙もないことに驚いてしまう。

「ルイ・マル、奇跡の監督デビュー作」は、伊達じゃないよ。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] シーチキン[*]

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