[コメント] ノッティングヒルの恋人(1999/米)
エロ本など具体的な物を用いず頼らずに己の手のみで勝負する、想像オナニー時の妄想映像&物語をそっくりそのまま映像化した威勢の良さに私は恐怖でおののきました。下にキノコが生えてるイカ臭い煎餅布団ver.万年床を目指しているような映画。
一日一ヌキを徹底しているある男の、日々繰り返されるヌキ終わりに訪れる「俺ナニやってんだ…ハァ…」の、むなしさ。その都度下半身に現れる自己憐憫している自分の姿を愛らしく肯定しようとすればするほど思えばこそ、現実逃避すればこそ作れるのかもしれない、こんな妄念の映像を。しかし、オタク文化が奨励されている日本の健全なエロエロ男性にとって、この作品は男性の性カテゴリーにおける地位を低下させる黒船的な映画として敵対視しなければならない。男の妄想はこんなもんじゃないから。
確かに本屋でエロ本を買うときに、勃起しながら買った(万引き含む)小中学生時代を思い出すと、本屋という設定もアリだな、と思うが、何故に本屋プレイがないのか。本屋だけに“本”番を本屋でとか、SMちっくな放置的に官能小説の読み聞かせプレイとか、小難しい単語と卑猥な単語を交互に連呼や、閉店後のレジプレイ、客がいるのに奥の棚でペッティング、本の枝折りの紐を首筋に這わしたり、それでアレをアレしたりなどの妄念を挿入しないのはおかしい。アナって名前のくせにおかしい。百歩譲ってそれがおかしくないとしても普通に内容ちゃんちゃらおかしい映画に高評価な現状はおかしいな事象だ。
2003/9/1
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