[コメント] 二百三高地(1980/日)
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消耗品として人がバタバタと殺されていく戦場のあまりの凄惨さに精神が破綻していく兵士たち同様、映画もちょっとおかしくなったのか知らないが、途中で“防人の詩”のカラオケビデオのようになるのは勘弁してほしい。こっちだってあんな不謹慎なタイミングで笑いたくないんだから。(尤も、曲自体は、それまで「海は死にますか山は死にますか」という歌詞しか知らなかったのを、この映画で初めてちゃんと聴いたが、なかなかいい。感情的にはストレートながら、レトリックがちょっと意表をついていて、聴き応えがある。鑑賞後も脳内で時折、自動再生されてしまう(笑)・・・と思っていたら、あの歌詞は万葉集の引用だったのか。万葉びとの偉大を知った…。)
不可能とも思える「高地」(「坂の上の雲」?)へ登ろうとする日本兵の姿は、崇高さと戦争嫌悪がない交ぜになったような複雑な陰影を刻む。そして、数々の忘れがたいシーン。元々は些か気色悪いほどに爽やかだった小賀(あおい輝彦)が、部下を次々亡くした果てに、乃木(仲代達矢)の高邁な軍人精神を正面から激烈に批判する台詞。二人目の息子の戦死を知らされた乃木が、薄暗い執務室でその姿が真っ黒な影になってしまうカット。二百三高地の上に旭日旗が、日本兵の血を浴び、ロシア兵によって破られ、ボロボロになって原形をとどめないながらも、占領の証しとしてついに突き立てられる光景。小賀がロシア兵と、悪鬼か獣のように殺し合いを繰り広げて果てる、「勇猛さ」とはもはや呼べぬ凄惨さ。
戦闘の休止中には酒や煙草を交換し合いさえしていた日本兵とロシア兵が、酔ったロシア軍将校が酒や缶詰を贈ろうとしたことで却って、缶詰を爆弾と見間違えた日本兵の発砲が元で戦闘状態に入り、死者が出てしまうこと。戦死した小賀から教室を引き継いだ佐知(夏目雅子)の、「美しい国日本 美しい国ロシア」と黒板に書こうとした手が、「ロ」の字で止まり、泣き崩れること。単に凄惨な戦場を描くのみならず、戦争に伴う、異国間の対立状態が、人の心理をどう変えてしまうのか。そこを充分に描いた点こそ最も評価したい。小賀と佐知の出逢いのシーンでは、開戦前に国論が二分していた国内事情が描かれており、そこで反戦活動をしていて愛国主義者に殴られる佐知が、ラストシーンでは「ロ」の字で止まってしまうに至るという、つまりは戦争の進行と共に民衆の心理が変えられてしまう様が描かれているわけだ。
反戦姿勢で徹底してほしい人は、三船敏郎の演じる明治天皇がその威風堂々たる態度で、戦争の悲劇性がどれほど高まろうと全てを呑み込んでいく構図が気に食わないと感じるだろうが、僕は正直なところ、特にそこに限って文句をつける気にはならない。ただ、全体を浪花節で塗り込めて、観客にとって消化のしやすい形にしてしまった小奇麗な体裁に、些か疑問を覚えなくもない、といったところか。
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