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[コメント] ポーラX(1999/日=スイス=独=仏)

物語を生きる、ということ。あるいは、現代における物語のイメージ。
ちわわ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







実に観念的な映画である。

明と暗、美しい郊外とむさ苦しい都会、神聖さと邪悪なもの、静寂と喧騒。 髪の毛の色のことなる二人の女性。 このコントラストは、映画全体に、緊迫感をあたえている。

あるいは、3という数字、2という数字、3人が2人になり、また3人となる、といった 人間関係への数字の支配なども、かなり意図的である。哲学好きのひとなら、 ただちにヘーゲルの名前を挙げるだろう。

過剰な性的なイメージも指摘されうる。 最後に主人公の手によって殺される従兄弟とのあいだにも、なにやら性的なにおいがするし、そもそも近親相姦的な匂いが全体をおおっている。(母=姉のもつ意味合い) オイデプス的なイメージ。

物語の基調は伝統的な貴種流離譚。自分の出生をめぐる物語。 その問いかけのうちに、主人公の肉体は、国王ルートヴィヒのように、 蝕まれていく。

そう考えると、この映画、なんと古典的な映画であることか。だが、何故今 カラックスは、こういった「模倣だらけ」の映画を造ろうとするのか? 彼自身の物語を生きる心情なのか?それほどこの映画は個人的映画なのだろうか?

私には、それが判らない。だが、はっきりいえるのはそれでもこれが映画である、 という事実である。姉と称する黒髪の女性も、結局出自は判らないままなのだが、 それゆえに、それが物語イメージ、今現在潜在している物語のイメージと直結している ということである。今正にあるものを映し出す映画の力。 前作との主題の関連も、考えると面白いかもしれない。

(評価:★4)

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