[コメント] どこまでもいこう(1999/日)
この子供たちの世界は大人の眼でみた子供達の世界なのか、それとも子供の立場にたって描きだされた世界なのか、という疑問について。
僕個人の意見として言えることは、 この映画が子供達が肌で感じる世界を、ひとつの物語として映画化している ということである。
現実の体験としては、その世界は決して余裕をもって楽しめるものではない。 わたしたちが回想する過去の自分の物語がたとえ甘やかなものであるとしても、 当時のわたしたちにとってそれはあくまでも現実のものだったから。
この作品で、わたしたちが子供達とともに体験する世界もまた決してそのまま 余裕をもって楽しめるものではない。 しかし見終わったあと、すなわち作品がひとつの完結した物語となったあと、 そこにある種のカタルシスがあるとすれば、
それは、子供達が感じる世界(すなわちわたしたちが感じ得る世界)が そこに過不足なく描きだされていること、そしてその世界が「子供の世界」などと してわたしたち大人から切り離された世界ではなく、わたしたち「おとな」にも ある普遍的な何かをうったえかけてくれるからに他ならない、と思う。
もちろん、この映画で描かれている世界は現代の子供達の世界とかけはなれて いるように見えるかもしれない。それに子供達が楽しめる映画ではないかも しれない。(それは単純に子供達が映画に求めるのは別のものだから) しかし、この映画で表現された世界は、「大人の眼」で翻訳された 子供の世界ではないし、本質的に、この世界は現代の子供達の世界からかけはなれて いるとも思われない。
映画にはこういう表現も可能なのである。たぶん小説や演劇ではできないであろう。
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