[コメント] 吶喊(1975/日)
時代が大きく変わる時、その歴史の舞台に立てる者は極僅かな人間だけだ。田舎者で童貞の千太なんぞが、そんな大舞台に立てる訳がない。
だけど鬱々とした田舎暮らしの中で、何か面白い事をやらかしたい青年は好奇心のみで突っ走ろうとする。いつの時代でも彼のような「その他大勢」に分類される若者がいる。否、実際は映画の主人公(ヒーロー)にはとてもなれないような彼等こそが大多数なのだ。
だから千太に自分を重ねられる。そして彼が発する「やる、やる!」「おっもしれぇー!」という台詞にカタルシスを感じる。
危険だとか正義だとか任務だからとかいう思考は無い。ただただ好奇心だけで突っ走る。これが若者の特権でもあり、反面的に甘えでもある。
千太が二本松で目にした少年や女たちの死体の惨状に「現実の社会」や「大人の世界」を感じた時に発した「ちっきしょー!」という言葉は誠に映画的であった。通常ならばここから青年は「大人」の仲間入りをして、「現実」と闘っていくのが筋だろう。
しかし岡本喜八はその定番をひっくり返した。千太をその後も好奇心の思うがままに行動させたのだ。そこには「反権力」とかの冠は無く、ただ本能にのみ突き動かされていた。挙句は砲弾が降り注ぐ中での性欲処理であった。
岡本喜八は、時代を醒めた目で見て時代の流れに上手く乗って世渡りする万次郎という若者と千太を対比させた上で、現代の若者たちへのやるせないメッセージを込めているようだ。岡本喜八は現代の若者たちに不甲斐なさを感じていたのだろう。だが同時に若者たちへのなんとも言えぬ優しさも秘めているようだ。彼の作品の中で描く青年たちはいつも痛快である。本作の千太もそうだった。だから岡本喜八の作品は面白いのだ。
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