[コメント] ブレア・ウィッチ・プロジェクト(1999/米)
「”本当にあった怖い話”の多くは、”本当にあった”という言葉に助けてもらっている。」という言葉がある。実際、そういう題名の本を開いてみると、ストーリーにセンスのかけらもないものが大量に載っている。「髪を振り乱した女の人が立っていました。」とか「血を流した爺さんが立っていました。」とか、それだけで終わってしまったりする。そんなものを「優れた物語」とするなら、小説家は苦労しませんぜ。
しかし、中にはうまくできたストーリーもある。いわゆる「都市伝説」にはよくできたものが多い。映画と違って、言葉だけで恐怖を伝えるために、ストーリーを工夫したのだろう。完成度の高いものは、長い間語り継がれ、現代の伝説となるわけだ。(一度、「都市伝説」で検索してみてください。面白い「物語」がたくさんヒットしますよ。)
この映画を都市伝説風に文章で表すならこんな感じになるだろう。
「これは私の友達が、先輩から聞いた話です。その先輩のふるさとには、幽霊が出ると噂されている山がありました。あるとき、大学の映画サークルの人たちが、数人、その山に撮影機材を持って入っていきました。ところが彼らはそれっきり行方不明になったのです。一年たっても、彼らの行方はわかりませんでしたが、撮影機材だけが見付かりました。しかし親族はそのフィルムを見たいと言ったのに、警察は何故かそれを拒否したのです。親族は、手掛かりにならなくてもいい、せめて彼らの最後の姿を見たいと言って、何度も警察に頼みました。その想いが通じたのか、やっと警察はフィルムを見せてくれました。しかし「いいですか、このことは誰にも言わないでください。」警察は何故かそう言いました。フィルムを回し始めました。そこに映っていたのは・・・」
ここでちゃんとオチを決めてくれるのが都市伝説だ。それなのに何だ、この映画は。オチにならないオチを延々と聞かされたって全然怖くない。
「そこに映っていたのは、手ぶれの酷い映像でした。」
そんなので怖がれるか!
もっと映像に工夫があればよかったんだけどなあ。わざと手ぶれをつけたというだけじゃなあ。役者を追ってただカメラを回してるだけだもんな。(自分で言うのも何ですが、僕は脚本が中身ゼロでも映像が優れていれば愛せる人間です。だから『呪怨』は好き。)
例えばこんな展開はどうだろう。
「フィルムには、山の中で道に迷う大学生たちが映っていました。親族はそれを涙ぐみながら見ていましたが、最後の方になると、画面の真ん中だけが、帯が走るように色あせた状態になってきました。フィルムが痛んでいたのだろうと思って見続けましたが、やがてもやのような白い帯になりました。そのときカメラの向こうでは、何が起こったのか大学生たちが「助けてくれ!」という叫び声を上げ、パニック状態になりました。撮影されたのが夜で、しかも白い帯のせいで、彼らの身に何が起こっているのか,よくわかりません。もっとよく見たいとスクリーンを見つめていた親族はやがて、震え上がりました。フィルムの真ん中に映っていた白い影は、はっきりと女の人の姿になり、こちらを睨んでいたのでした。」
まあ、これは日本人の発想だろうけどね。
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