[コメント] ロイドの要心無用(1923/米)
スタントのスペクタクル性を生み出した驚異的なアイデアもエモーショナルな映画力が薄いSO-SO作品
映画を見世物であることを標榜するシンプルな立ち位置から、驚きという観客の心のざわめきを操作するパフォーマンスをリスク承知で果敢に挑むその姿は、映画の表に立ちあがる振る舞いよりもより感動的な裏事情である。本作が公開されるやいなや失神者が出てしまったほどの驚異的なアイデアではあったが、いかんせん理知的に大人しい方正な映画作りは、エモーショナルな映画力に欠け、そのスタント芸の強度のみが浮き彫りになってそれ以上のものではなかった。ロイドの場合は、小市民のサクセスストーリーという得意の物語式があり、そのキャラ設定はどれもどこにでもありそうな平凡な風景である。ロイド喜劇の本懐はそうしたシチュエーションを生かした着想の巧さに見て取れるが、しかしながら奇抜な才気とは無縁なギャグスケッチは予定調和である分、どこか前時代的で面白みを欠いているのが難点だ。ロイドを中心とした彼のプロダクションワークの巧みさは喜劇映画の在り方を大きく変えた。しかし、残念ながらロイド当人の出自が芸によって支えられたものでないことが唯一無二の世界観として訴えるのに濃度が低いことを証明してしまうのである。喜劇王であることに異論を差し挟む余地はないが、グレートコメディアンの系譜としてチャップリン、キートンと同列に語ることは無理があるように思える。芸風が違うということ以前に彼はアーティストではないのだ。悪くいうわけではないが、ロイドは映画というビジネスをとてもよく理解していた職人なのである。
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