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[コメント] クォ・ヴァディス(1951/米)

スペクタクル・シーンはCG全盛の今では大したことはないにしろ、いくつもある愛情の描き方の妙には唸らされた(ネロやペトロニウスにすらロマンスがあるのだから!)。しかしストーリーは強引だ。ロバート・テイラーの変心は果たして必要だったろうか?
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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帝政ローマは戦前の日本によく似ている。八百万の神にインドや中国の神々を加え、同等に拝むことに躊躇しない。しかし、この筋ならテイラーは誇り高きローマ軍人であり続けるべきだったし、イエスを認めるのはジュピターを筆頭とするローマの数多ある神々と同等にすべきだった。彼は処刑されかかるデボラ・カーの無事をイエスに祈るほどにその教えを知らぬはずだからだ。共通の悪を前にしてローマ人もユダヤ人も無い。増して、この当時のキリスト教は得体の知れないアングラ組織に過ぎなかったのだから。実際、後の代に於いてキリスト教はその勢力を帝国全体に伸ばしている。その魁たる存在として、妻からゆっくりとイエスの教えを学ぶとしても良かったのではないか。

それにしても、ネロを愚帝としては描いても極悪非道な悪党としては描かず、あまっさえ彼の止めを刺すことを自らの務めとしたアクテを配したことは、物語を深みあるものとしたといって良いだろう。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)りかちゅ[*]

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