[コメント] 少年、機関車に乗る(1991/タジキスタン)
煙突から離れたところに(後景に煙突が見える場所に)、座っている青年と、瓶や水筒を持って来て座る青年。一人が、弟を親父に預けたいと云う。この兄の名はファルー。彼が主人公。弟の名前はアザマットだが、デブちんという渾名で呼ばれている。
この映画、冒頭の煙突もそうだが、不思議なシーンが沢山ある。例えば、ファルーたちは、瓶や水筒を、ある施設(多分、刑務所)の屋根の上の男たちに投げるのだが、酒が入っていた、ということだろうか。犬を連れた警官に追いかけられる。とにかく説明が全く無いのだが、しかし、何の説明もなくても、映画を面白くすることはできるのだ。
ファルーは、弟(デブちん)とお祖母さんと3人で暮らしているが、序盤で、弟の土を食べる癖を描く部分が重要だ。ファルーが土を食べた弟の手を何度も叩く折檻の場面もあるが、あくまでも弟のことをとても心配している、ということが分かる。ちなみに、原題はロシア語の「土を食べる癖」を意味するという記事を見かけたが、辞書サイトで検索するとロシア語の俗語で「兄弟」を意味するような結果も得られるので、いずれにしても、原題は、弟のアザマット(デブちん)を指しているのだと思われる。
では、邦題の「少年」は誰を指しているのかというと、これはファルーとデブちんの2人ということになるだろう。本作はこの兄弟が、機関車に乗って、父の住む町へ向かう、その道中の場面が半分ぐらいを占める映画なのだ。
機関車は、最初は住宅街というか民家が両サイドにあるところを行く。兄弟と運転手は多分、旧知の間柄なのだろう。途中で、運転手の家族(妻子)が線路の上の橋(小さな跨線橋)に出現し、奥さんから着替えを受け取る場面があったりする。そのうち、後景は、高原らしい、禿山の景色になる。荒涼たる風景の中を進む場面が多いが、野生馬が線路の上を走るショットがあったり、沿線の人々も沢山登場する。ロバに乗る人、オートバイに乗る人といった機関車以外の乗り物も点景として映り込む。こゝで機関車に向かって、石を投げて来る子供たちが現れるのも意味がよく分からない演出。あるいは、檻のような貨物車両の中で、サッカーをやっている子供たちの存在も不思議だ。このあたりも何の説明もない。また、ヤカンとポットをいっぱい持った男や2人の女性客も乗り込んで来る。そ の内の一人の女性は、何やら運転手と関係があるようだ。多分、皆、無賃乗車なのだろう。線路の横の道路を走る、トラクターみたいな車と、機関車との競走シーンもある。こゝの機関車と車の並走ショットがとてもいい画面だ。
そして、夕方、町に着く。広場の端で少年たちがやっている、頭の上の回るドラムに書かれている数字を競うゲームは何だろう(負けるとデコピンをする)。お父さんの家には、予想に反して女性がおり、ドギマギしてしまうが、一応、兄弟を歓迎してくれてホッとする。翌日だろうか、温泉地のような保養地に、お父さんが連れて行ってくれる。こゝで、弟の面倒を見てほしい、とファルーが切り出すと、激昂するお父さん。さてどうなるか、という展開だ。この後、水溜りみたいな場所(塩湖の浅瀬か?)に身体を浸けるお父さんとデブちんの場面もいい。また、ファルーが夜、部屋に入って来たコウモリを捕まえて、瓶に入れるシーンが挿入されるのは、これは象徴性のある演出だろう。
そして、ファルーの幼馴染の友人から、土を食うのは家系か?と云われたことから喧嘩になり、こっぴどくやっつける場面もいい。その後、一人、走って機関車に乗るファルー。来た時と同じ運転手。この場面だけをピックアップすると、邦題の「少年」はファルーだけ、ということになるが、さてどうか。全体に、牧歌的な筆致の中にもヒリヒリするような緊張感のある演出に目を瞠り続ける作品だ。
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