[コメント] 鬼火(1996/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ピアノバーでの出会いで始まる『冬の華』の延長のようなヤクザ映画だがこの点でのシニックはまるでない。原田芳雄が見初めたバイトのピアニスト片岡礼子は、妹を中絶させ精神病院に送ったオトコに復讐するのだと拳銃を所望し、原田が廃墟で拳銃の指南。この件がいい。飼犬を撃てと突然命令口調で原田は指示し、撃てませんと片岡が嘆くと、それでいいんですと丁寧語に戻って原田は応える。全員滅亡の後、エンドタイトルの最後に片岡はこの犬と散歩している。なんてロマンチックなんだろう。
ふたりは例の男捕まえて小便ちびらせて妹のポルノ写真押収、ここから復讐劇がはじまり逃走。原田は刑務所で覚えたオフセット印刷、この印刷屋の親爺とのやりとりが笑える。その他も古本屋で「風の又三郎」買って百八十万と云われて百八十円払い、土地でも買いな、とか、断片のコメディも70年代っぽい。スタッフが大好きなあの世界の追悼に本作を捧げた想いが伝わってくる。
ふたりで逃走した体育館のピアノで出会いの曲ベニスの舟唄弾く片岡なんていうロマンチックも、寂れて侘しい演出のなか見事に決まっていた。原田は関係を断つかのように印刷屋の親爺とわざと喧嘩して逃げ、突撃して逮捕される収束。
序盤出所した原田に、ムショで世話になり「兄貴と思っています」「恥かかせたくないんです」「景気いいんです」と親切にする哀川翔とか、昔ながらに刑期終えた原田を尊重するサラ金業の奥田瑛二とか、本作は主人公というより、中年になった原田という俳優が背負った何事かを、全力で護ろうというニュアンスがある。原田は哀川の誘い断ってあいりん地区に行き大阪ドーム傍で土建業、奥田の運転手、追われて印刷屋と転々としている。映画は最後に哀川と奥田を対決させて、この世界を終わりにしている。
フランス名画と同じタイトルも、あの自死に向かう陰鬱を踏まえたものなのだろう。原田は自殺したと解せと云っているのかも知れない。舞台挨拶付で鑑賞。監督は演劇に転向して16年、原田芳雄が懐かしい、原作者はやくざの弁護士、人とやっていけない者がやくざになると語り、製作者は客席から、債権者に追われる身なので挨拶ご勘弁と一言あって哀しくなった。邦画は貧乏だ。
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