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[コメント] スペシャリスト 自覚なき殺戮者(1999/イスラエル=仏=独=オーストリア=ベルギー)

アイヒマンは実在したナチス高官である。彼は逃亡中に拘束され、刑死した。
死ぬまでシネマ

恐らくぼくは頭が悪いのだろうが、ぼくにはゴルゴ十三さんの言う事が殆ど理解出来なかった。賛否以前に。と先ず言っておこう。

この映画を映画論から考えると、先ず思いつくのは現実を素材にした時の「作家性」と対象が持つ「固有の物語」の評価の問題である(cf.『東京裁判』)。観客は映画を自分の中で咀嚼する時、それが「素材の物語」なのか「作家性」による要素から来るのかが気になるだろう。それらを斟酌しない鑑賞もひとつの態度ではあるが、今作は内容が政治的であるだけに観客も自らの政治性を問われざるを得ず、絡め取られないためには警戒と防衛が必要となる。ただぼく個人は、自らの中に常に批判と反省を持っていれば、鑑賞以前の問題として作品の体裁を問う事は必要ではないと考えている。

アイヒマンが言うように「組織の中では仕方がなかった」「義務を忠実に遂行しただけ」という要素もあっただろう。批判者は自分が同じ立場に置かれた時の事を常に意識しなければならない。しかし、組織は個人が作っているという認識は捨ててはならない。能力を超えた所でも(或る意味「理不尽な」)負うべき責任が存在するのは事実ではないだろうか。それはこの世に生きている理不尽から発生している不可避の事態だ。個人の出来る範囲の中でひとは行動せざるを得ないが、その時に本人の望むに関わらず責任は存在する。その時、あなたは人間としてどう行動するか、が問われている。

裁判中、大ヴァンゼー湖畔での会議の内容が取り上げられる。これはナチスドイツが国家としてユダヤ絶滅を意志決定した重要な会議とされている。TV映画『謀議』を併せて鑑賞すると興味と理解が深まるだろう。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)寒山拾得[*]

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