[コメント] 夢千代日記(1985/日)
芸者やストリッパーたちの中にあって、吉永演ずる夢千代は最後までスピリチュアルな聖性を保っている。善くも悪くも。
もちろんそれが吉永に課せられた演技上の宿業なのかもしれないが、単なるアイドル女優から脱皮してもなお、彼女に死の匂いが覆い被さることはあっても、セクシュアリティはつねに無縁なところにあった。
この映画において吉永は「おかあさん」と呼ばれる存在であるが、これは少女からいきなり慈母に突き抜けてしまった観がある。これをもって吉永の演技的弱点と言うのはたやすいが、ほとんどの女優が演技派に転ずるにあたってセックスが義務であるかのように脱ぎ始めるのに対し、いにしえの女優たちのように性から無縁であり続ける女優が独りぐらいいてもいいと感ずるのだが、いかがなものであろうか。(吉永がセックスシーンを演ずる映画が存在するのは承知しているが、本質的な部分では変らないものと確信している。今のところは)
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