[コメント] 放射能X(1954/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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特撮作品としては古典的名作に入る一本。
出来映えはとても良く、『エイリアン2』や『スターシップ・トゥルーパーズ』、そしてハリウッド版の『GODZILLA』と言ったハリウッドSF作品のみならず、日本においても『ラドン』などにその影響が窺えるし、SFパニック作品の嚆矢として、映画史に残る名作と言っても良い。
ストーリーも起伏に富んでいるし、『キング・コング』のような二重構造と、二つの盛り上がり(この作品においては最初の巣穴の突入と、ラストの大都市での攻防)、それをつなぐ中盤の緊張感を配すると言ったバランスも良し。造形などはいかにも手作り風だが、それも味を感じられて好感を持つ(まあ、確かにラドン抜きでメガヌロンしか出てこない『ラドン』と言う気もせんではないけど(笑))。
本作品が後のSF作品、もしくは怪獣もの特撮の嚆矢と言って良いのだが、それだけに純粋な形での日米特撮の特徴というもの違いを考えるにはぴったりの素材となっている。
日米の特撮の違いというと、先ず怪獣というもののとらえ方の違いがある。
日本における怪獣の捉え方は、『ゴジラ』において円谷英二が明確に打ち出したように、“天災”が具現化した形として捉えられている。それと重要なのは、日本では様々な自然現象は神懸かり的なものとして捉えられていると言う点も大きい(地震は鯰が起こすものだとか、あるいは地竜が暴れているものとされているし、風や雷はそれぞれ「風神」「雷神」が起こすものとなる。暴風を「神風」などと言う場合もある)。乱暴な三段論法で言ってしまえば、「怪獣は天変地異を起こす存在」→「天変地異は神懸かり的なもの」→「怪獣は神的なもの」となっていく。いわば怪獣は神秘的存在であり、人の力をはるかに超えたもの。そして単体で現れるのが特徴づけられる(いみじくも金子修介監督が『大怪獣総攻撃』で打ち上げた“ゴジラは英霊の集合体”と言った突飛な理論が、実は一番良く怪獣という存在を捉えている)。
一方、ハリウッド製特撮で現れる怪獣は面白いことに、大抵科学の申し子として捉えられているのが特徴。本作で登場する蟻の群は日本の『ゴジラ』同様放射能実験によって生み出されたものだが、ゴジラほどの圧倒的迫力を持っているわけではない。これは、そのサイズとか、多量に出てくるから。とか言う以前に、結局それらは人間によって完全に分析されてしまっているからに他ならない。この蟻たちは、巨大さはともかくとして、完璧な化学的理論が適用されているし、その理論通りに繁殖し、撃退方法も考案される。人間の科学によって生み出された以上、人間の科学によって分析され得る存在なのだ。
日本の特撮における怪獣は異形の存在であるのに、明確に怪獣側に感情移入が出来るが、ハリウッド特撮においては、完璧に主人公は人間の側にあり、怪獣には一片の感情移入も許されない。それ故にこそ、虐殺が可能となっている。その姿勢の違いと言っても良い。大体この映画の原題『THEM!』にしても、名前を敢えて廃することによって、それらは恐怖のみの存在、そして滅ぼされるべき存在として出ているではないか。それらは分析された“種”としての名前しか与えられず、固有名詞を許されていない。日本の特撮では「彼」あるいは「彼女」と言われる怪獣がハリウッドだと「それ」もしくは「それら」になってしまう。
尤も、これらはあくまで姿勢の違いと言うだけで、どちらが良い悪いと言う問題ではない。そのどちらにも味はあるし、むしろこの姿勢の違いがあるからこそ、圧倒的予算の差があるにも拘わらず、日本の特撮の持ち味が活かされているのだろう。違いがあるから良いのだ。
今から考えると、ハリウッド版『GODZILLA』はその架け橋となるべく、エポックメイキングな作品になり得たのかも知れない。ただ、ご存じの通りこれはハリウッドの方に偏りすぎてしまったため、ゴジラはあくまで科学で分析できる存在になったし、子供も産む(まさしく本作の影響丸見え)、ハリウッド版ゴジラは「彼女」(だろ?)ではなく、やはり「それ」でしかなかったわけだ。逆に考えれば、本当にあの作品が日米特撮の架け橋になっていたとするなら、日本の特撮は廃れてしまったかも知れない…そうすると、あの作品は明らかに失敗だったからよかったのかなあ?
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