[コメント] 白い花びら(1999/フィンランド)
しかし、鳴り続ける(鳴り止まない)劇伴は無音処理のシーンとの対比という趣向もあるとは思うが、極めて鬱陶しい。大げさな音楽は誇張した感情表現でギャグのように効果を発揮する部分はあるとしても、概ね不快で甚だマイナス効果になっていると私には感じられた。
原題は「ユハ」。これは人名で、主人公夫婦の夫−サカリ・クオスマネンのことだが、タイトルとしては私にはフェイクのように感じられる。この映画を支えているのは、ユハの妻マルヤ−カティ・オウティネンと思えるからだ。それは、終盤のエモーションがユハの行動によって定着しているとか、ラストショットがユハのショットだとか以上に、あるいは、単純にマルヤ−オウティネンの尺が長い(出番が多い)、といったこと以上に、本作がサイレントとして作られた理由を裏付けるような強い画面は、全てオウティネンのショットだと感じられたからだ。
例えば、都会からオープンカーでやってきた伊達男(といってもかなりジジイに見える)シュメイッカ−アンドレ・ウィルムとマルヤ−オウティネンの出会いの場面におけるリバース・ショット。あるいは、羊小屋でシュメイッカを見る彼女のショットの表情。さらに、シュメイッカに誘われて出奔したすぐ後の、小川を見る彼女のアップの強さ。このカティ・オウティネンという女優を使った「映画のヒロイン像」に対する批評性の面白さには、私は声を出して笑ってしまったぐらいだ(ほゞギャグだと感じる)。多分、カウリスマキも、これが面白いと思ってやっているのだろう。
あと、カウリスマキらしい犬が登場する映画でもあることを書いておきたい。犬小屋の犬の正面ショットから、椅子に座っているオウティネンの正面ショットに繋ぐ編集もギャグみたいな効果があった。また、終盤で夫のユハが白いシャツに黒いネクタイを付けて、斧を研磨している姿が挿入されるという、一瞬で彼が何をしようとしているか観客に諒解させてしまう場面があるけれど、これもカウリスマキらしい優れた演出の特徴だと思う。
尚、邦題に関しても、確かに白い花びらが映るカットが存在するとは云え、これをタイトルに持ってきた動機は理解しがたい。これもフェイクのようなタイトルだ。しかし、カウリスマキらしいちょっとふざけた感覚と共に「映画は理解するものではない」という主張が含まれているとも受け取ることができ、この邦題も決して悪くはないと私は思う。
#備忘でその他の配役(カウリスマキ映画の常連)などを記述します。
・シュメイッカの姉役でエリナ・サロ。部下の1人でマルック・ペルトラ。接客の女性たちの中にはオウティ・マエンパー。
・警察署長でエスコ・ニッカリ。背景の黒板に手書きで次の文(英語)がある。「この男を逮捕しろ サム・フラー」。酒場の壁には『ナサリン』のポスターが逆さまに貼付されている。
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