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[コメント] サウスパーク 無修正映画版(1999/米)

記号としてのフセイン、記号としての言葉狩り。とことん挑発的な映画だと思う。
林田乃丞

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 サダム・フセインや表現の自由に対する弾圧など解りやすい敵性存在を描き、それを駆逐して見せて、これぞハッピーエンドだと言い切る。平和の戻った街を見渡せば、相変わらず足元にはホームレスが転がっている。

 この映画が言わんとするのは、たぶん、記号化された敵性に対して熱狂するより足元の問題に目を向けろということなんじゃないかと感じた。民衆が何かを勝ち取るカタルシスは常に誰かによって巧妙に仕組まれたものである──という意図が作り手にあったとすれば、やはりフセインはフセインでなければならなかったし、言葉狩りの対象は誰もが耳を塞ぎたくなる「Fワード」でなければならなかったわけで。

 サウスパークはクソ白人の街であり、この映画から9年たった現在でもまったく変わらぬ普通の保守の街だ。そこでは誰もが次々にあてがわれる“フセイン的な存在”に熱狂し、それを駆逐するだけで成立してしまうような「解りやすいハッピーエンド」を追い続けている。だからこそ、アメリカの足元にはいつだってホームレスが転がっているし、ハッピーエンドの陰で黙殺され続けている。この映画が撃とうとしているのは戦争でも言葉狩りでもなく、記号化された敵性存在に扇動され続ける市民そのものなんじゃないかと思う。

(評価:★4)

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