[コメント] パイナップル・ツアーズ(1992/日)
例えば復帰当時(1972年)前後に作られた本土発の『やさしいにっぽん人』(71年)や『夏の妹』(72年)が、沖縄に対する贖罪を内省的に描いていたのとは180度正反対。もうひとつ驚いたのは米軍や基地の問題にはいっさい触れられていないこと。米兵による少女暴行事件は本作の3年後の1995年。普天間基地の移転先に辺野古が上がったのは1997年。沖国大に米軍ヘリが墜落するのは2004年。そして辺野古の埋め立てを当時の知事が承認するのはさらに7年後の2013年で、今へと至る。
なるほど、30年前の沖縄ではまだ「基地問題」は時限爆弾状態。人々の関心は、これから日本本土とどう付き合っていくかという「観光誘致=本土経済の流入」と「自然保護=島のアイデンティティ」の葛藤だったのですね。復帰50年の今、映画を作るとしたら「基地問題」や、さらに「経済格差」といったテーマはやはり避けて通れないでしょうね。いやいや、それはヤマトンチュウ野郎(私)目線の浅慮でしょうか。今、ウチナーンチュウの映画作家たちはどんな映画を撮るのだろう。琉球人らしい大らかで、やっぱり能天気な映画であって欲しいですし、ぜひ観てみたい。
●第1話「麗子おばさん」・・真喜屋力監督
何があったのだろうか。本土に渡っていた歌手の麗子(兼島麗子)の声が出なくなり大学生の娘(富田めぐみ)とともに島に戻ってくる。このまま島に留まるか、ふたたび本土に渡るのか。米軍の不発爆弾の呪いがふたりの選択を分かつ。復帰20年、希望を抱いて本土に渡り、夢半ばでそんな選択を迫られた島民たちが大勢いたのでしょう。幸雄(新良幸人)のポンコツ軽トラが狂言回しとして後々まで笑わせてくれる。
●第2話「春子とヒデヨシ」・・中江裕司監督
爆弾騒動が沈静化するなか、本土から来た青年ヒデヨシ(利重剛)が地元の春子(宮城祐子)に見初められ島に定住するまでのドタバタが描かれる。その優柔ぶりは、そのまま京都出身の中江監督と沖縄の関係にダブル。そして後の『ナビィの恋』や『ホテル・ハイビスカス』につながるのだ。島という閉じられた社会を維持するための大らかな性習俗と受け継がれる生命礼賛。行方知れずの不発弾など日々の営みのなかでは微塵でもないのだ。
●第3話「爆弾小僧」・・當間早志監督
本土に金で買われる不満と不安。東京ではなくイギリスを目指すパンクデュオ・アキラ(津波信一)と夏子の「爆弾小僧」は、そんな経済合理などものともしない。夏子役の中曽根あいののアナーキーでなんと可愛いこと。そして美人デベロッパー役のファニーフェース洞口依子がふりまく27歳のお色気が妖艶にして映画的に美味。ドタバタ騒動の締めはやっぱり最強オバア平良とみなのだ。
終わってみれば三話とも、フワフワ優柔不断な男どもに代わって島=物語を支えるのは“おんな”たちなのだ。
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