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[コメント] ひかりのまち(1999/英)

好きな映画だ。あの黒人の人に一番感情移入できた。だからこそあの飛ばされた?過程が気になる・・のとなんか納得いかないというか。。
蒼井ゆう21

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







いい年こいて一般的な人が抱える悩みの前提さえクリアできていない悩みをかかえて、親からは「外出ろよ」とか「ダンスクラブ行け」とか言われて、頭抱える人。 篭ってた彼が、どうして一歩踏み出すことができたか。一晩でああも変わるもんか?それとも何晩もかけて変わったのなら、その変化の過程が見たい。結局、一晩で変わったにせよ、二、三晩で変わったにせよ、その変化の過程が描かれてないので、あの黒人の人の変わりようがどうもウソくさい。他の人達は、変化にあたって何かしらのきっかけが描かれていると思うのだけど。。と思ってたけど、彼が母親と最後にひと悶着したのがもしかしたらきっかけだったのかもしれないとも思う。風呂でウダウダしてる彼を母親が早く出ろとか言って、追い出して、さらに一言二言言い争い、しかも今度はより抽象的で、グッとくるような言葉を投げつける。そこで彼は「何もわかってない」的な言葉を放って、親を追い出す。これは以前にも一度あったやりとりと大して誤差はなく、ほぼ反復してる。しかし、この二回目の時は、より強烈で、決定的なように見える。ここから見えてくるのは、ようするに、誰にも自分の悩みは理解できない、ということを彼がより理解する、ということだと思った。一回目と二回目の争いは、その理解をしていく過程だったのかもしれない。そして、その理解が深まるはイコール、何かしらの変化の踏ん切り、きっかけ、になりえたのかもしれない。つまり、彼の変化、というか、何かしらの踏ん切りがつく過程は、あの二回の母親との争い を通してのことであり、その争いを通して、『自分の悩みは誰にも理解できない』ということを再認識し、その考えを深め、結局『自分でどうにかしないとどうにもならない』ということに至り、最後、彼は彼女と歩いていくのではないだろうか・・

とも思うけど、やはり何かが足りない気がするのだけど、、 ラストの終わり方かな・・ 結局元のところに戻っていくというか。。 あまりにわかりきった答えが当たり前のように出されて終わっていくような気が・・あのお姉さん夫婦は結局別れたままだったけど。 伝言ダイヤルにはまるのも、部屋に篭るのも、皆孤独なのも、それが一体どうしてなのか、というのにあのラストは何も答えていない。しかし答えてないのに、解決っぽいというか、ハッピーエンド的なのを持ち出すからタチが悪いと思った。それもあまりにもわかりきったもの。こんな終わり方なら、むしろ希望的要素を抜かして、そのまま淡々と最後まで日常を切り取るだけで終わっていってほしかった。。それとも、もともと当たり前の答えしかないのだろうか。そして、そんな答えを時々振り返って、ちょっと元気になって、、、というその繰り返しをただ生きていくしかないんだろうか。だとしたらただ絶望だ。そんなことを考えるのは若いからかな、、頭悪いからかな・・

(評価:★4)

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