[コメント] ハピネス(1998/米)
登場人物のうち二人はそれはもう立派な犯罪者な訳で。俗に言う「ボンクラ」とは一緒にして欲しくない訳で。「盗人にも三分の理」という諺を地で行ってる訳なのだがそれは別にこの作品の本質ではない筈だ。
まぁ百歩譲っていい歳こいた登場人物達がセックスと性に関してばかり拘っているのはいいとしても、主人公というか中心になる家族の話をどえらく端折りすぎではないか。フィリップ・シーモア・ホフマンは文句無く賞賛に値する芝居をしているのだが、ラストシーンからしても彼は間違い無く脇役のはず。そういった意味で彼の芝居は賞賛に値するが、そこがやけに取り沙汰されるのは逆にこの作品のいびつさを物語っているのではないだろうか。「監督は編集の時点で彼の芝居をカットするのが惜しくなったんじゃないだろうか?」と正直は俺は思った。実際ラストシーンよりも彼がベッドで丸くなるシーンの方が心を動かされた人は俺だけではないはずだ。
芝居に関してもジョイ役のジェーン・アダムスだってかなりいい芝居をしていた。だが悲しいかな彼女のそれぞれのエピソードが突然、かつぶった切り気味(オープニングからしてそうだった)だったせいで、彼女のシーンに関してはの芝居云々よりも前後関係に集中せねばならなかった。ララ・フリン・ボイルにしたってそう。彼女に至ってはほとんど「ホフマンの引き立て役」と言ってもいいような有様だ。
とまぁ偉そうに書きましたが、要はセックスにこだわる話の割にはどのエピソードも浅いんですよ。こちとら今さらヤリたいだけで女口説いたり、ましてやそうなった女性の人数数えるなんておサルな時期じゃないもんで。基本的にセックスってのは相手の事をもっともっと知りたいと思った結果でしか無い訳です。だからこそもっともっと主役の家族のエピソードを掘り下げて欲しかったと。「結果」としてのセックスではなく「目的」としてのセックスにしか見えなかった、それが残念です。
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