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[コメント] 妻よ薔薇のやうに(1935/日)

成瀬の初期の代表作と云えばこれ、という位置づけの作品だと思うが、私の好みで云うと、情緒的に過ぎるというか、ちょっとクサいと感じられる場面・演出があって、どちらかと云えば同年の『噂の娘』の方がいいと思える。
ゑぎ

 とは云え、成瀬がトーキーの話法をまだまだ試していて(成瀬のトーキー3作目)、そこが実に面白い細部を作り出しており、テクニカルな面で傑出している部分は多く指摘することができる作品だ。

 例えば、ボイスオーバーやサウンドブリッジの繋ぎ。序盤で丸の内辺りの路上を舞台に主人公−千葉早智子とその友達みたいな恋人−大川平八郎が会話する場面があるが、続く自宅の千葉の母−伊藤智子の画面に、まだ大川の科白が被っているという処理。あるいは、千葉のオジさん(母の兄と思う)−藤原釜足の登場は、彼の画面より先に、千葉と伊藤のツーショットに彼の声(科白)が入る。また、中盤で父親−丸山定夫が久しぶりに東京へ出てきたことを知った千葉が、ご馳走を作って父の帰宅が待つけれど、いつまで経っても帰ってこないという場面で長い暗転(フェードアウト)があり、そこにギターの劇伴が流れる。次に(暗転直後に)下宿で大川がギターを弾いてるショットが繋がれ、劇伴はこれだったと分かる繋ぎ。

 このような細部の例だけでなく、終盤のプロットの大きな転換点でも鮮やかなボイスオーバーを使った繋ぎを見せる。これは誰もが目に留まる成瀬らしい凝ったシーン構成だと思う。具体的には、長野の山間部で妾の雪子−英百合子やその妾腹の子ら(堀越節子伊東薫)と暮らす父親−丸山に会いに行った千葉のシーケンス。もともと千葉は父親を東京に連れ戻す目的で来たのだが、丸山は「よすよ、行くのやめた」と云い出し、千葉も「もう帰らなくていい」みたいに云う。だが、次のシーンで汽車の窓外の景色が来て、にこやかな丸山がミカンやチョコレートを千葉に渡す場面が繋がれ、千葉の独白が流れる。この汽車の中の場面からは(いや長野のシーケンス全体が、かも知れないが)、千葉が大川に話すフラッシュバックだった、という見せ方だ。実は、この長野のシーケンスの中の英百合子の描き方が出来過ぎていて(千葉の対応も含めて)、そこが最初に書いたクサいと感じる部分でもあるのだが、しかし、このシーケンス最後のフラッシュバックの扱いは、ちょっと俄かに類例を思いつかないぐらい鮮やかな構成だと思う。

 あとは、またぞろ、本作においても切り返し(ショット/リバースショット)とドリーショットについて触れておきたい。冒頭の千葉と大川の会話シーンから既に、実にいい人物の仰角構図の切り返しが多用されているけれど(長野の場面でも何度も仰角で切り返す)、しかし特記すべきは、軸線(会話軸、イマジナリーライン)を越えた180度(ドンデン)の切り返しの多さだろう。普通、イマジナリーライン越えの切り返しは禁じ手と云われることが多いが、これだけやっても、別に観客に混乱も与えず、ちゃんと繋がって見えている。ただ、例えば千葉の振り返るショットの次にドンデンで繋ぐことで、千葉の視線でもって相手の位置を認識させたり、肩なめショットにして人物の置かれた空間が補足できるように工夫されているということは云えるだろう。また、千葉に対するドリーの寄り引きも全編頻出するが、そのほとんどが、緩やかな品の良い(悪目立ちしない)ものだ。ただし、ラスト、エンディングのドリーの連打は私は好きではない。これってサイレント期から多用されているが(例えば『夜ごとの夢』が顕著)、登場人物が、ではなく、作者(成瀬)が情緒過多に見える演出だと思う。

(評価:★4)

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