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[コメント] 去年マリエンバートで(1961/仏=伊)

言語的描写の対象としての平等性によって、絵画や写真や彫像や舞台や人物の情景が入れ子状かつ可換的なロブ=グリエの小説世界は実写化によって喪失。男女のお話としては実はシンプルであり、作品内の時間は凝結しているので、何だか眠たくなってくる。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冒頭の、屋敷の天上や壁を埋める華麗な装飾や、豪奢なシャンデリアなどが、モノクロの映像にその陰影を見せるシーンは美しく、またその無人の、時間が凝固した空間は、そのまま映画の本質を予告している。ボイスオーバーで屋敷内の情景が繰り返し語られるその、客観描写に徹しているようでいて幻想との区別が曖昧な感じがいかにもロブ=グリエ風味だが、言語=情景というのではなく、情景は映像として明確な眼前に映されているという決定的な違いはやはり、何やら擬似ロブ=グリエといった児戯的な印象も拭えない。

男女を見つめる男を捉えたショットで、見つめる男の右側に鏡を配して、男が見ている光景を観客に見せることで視点を共有させ、カメラがパンすることで見つめる男がいったんフレームアウトした後に再び元の位置に戻ってくると、見つめる男の姿は消えている。つまり、観客が視点を共有していた男、視点の主体は知らぬ間に不在だったという、幽霊的な現象が起こっているわけだ。この辺は映画として頑張った所かもしれない。他には、男がゲームで最初に負けるシーンで、テーブルが鏡代わりになって二人を映し、そのショットに女の笑声が重なるカットなどが映画的。映画的といえば、全カットが編集共に優れているとは思う。音と映像のズレを活かした演出はやはり映画ならではだろう。個人的にいちばん好きなのは、バイオリンの演奏にオルガンの音が重ねられるシーン。この不思議な壮重さは、意味や何かを超えたインパクトがある。

屋敷内で上演されている舞台は最後、カーテンコールになっても役者は、何度カーテンが閉じられ開かれても、その場で不動のままでいる。このような、人物の人形化や、男女がテラスの彫像の姿勢や所作が意味するものについてまったく違う解釈をするシーンなど、そこもやっぱりロブ=グリエ。女の衣装が黒と白で、画面も明るい白と暗い黒をそれぞれ基調としたものを使い分けていることや、この衣装の色が唐突に変化することで現実と非現実、過去と現在とを混在させる手法など、色々凝ってはいるのだが、それが男女の心理と結びついていないので、結局は何だか数学パズル的な単純さに還元されてしまう(劇中のゲームとのアナロジー)。これもやっぱりロブ=グリエ。

(評価:★3)

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