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[コメント] 小説家を見つけたら(2000/英=米)

「本の無い部屋は魂の無い肉体のようだ」(キケロ)。本のある部屋の「高さ」が活かされた演出。「兄の存在」という共通項。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ジャマールとウィリアムの共通項としての「兄」の存在。ウィリアムの朗読に於けるトリックはそれを利用している訳だが、人生が停滞しているジャマールの兄と、人生が強制終了されてしまったウィリアムの兄、それぞれ人生の可能性が閉ざされた兄の存在は、この物語の隠れた軸なのかもしれない。ウィリアムは、兄が亡くなった時に看護婦が「あなたの本に感動した」と言ってきた出来事で全てが変わってしまったとジャマールに告げる。ウィリアムの、一人の人間としての感情が、彼が作家としての名声を得た「世間」にとっては無に等しいという事。片やジャマールは、自らの才能によって、バスケ仲間たちという、慣れ親しんできた世間から疎外されてしまう。作家としての高みに登ったウィリアムは、その事自体が、世間から隔絶された高い所に独りになる事を意味している訳だ。彼が単なる内向的な引きこもり老人に見えないのは、そうした背景が漠然と感じられたからだろう。勿論、ショーン・コネリーの演技力あっての事だ。

この「高さ」が演出的に生きている事が実感できるのは、まずは、ウィリアムが自転車に跨って「地面」の上を走る場面の解放感。久しぶりに自転車を使うのだという事を、完全に空気が抜けたタイヤに空気を入れる、という、細やかでさり気ない形で表現している辺りが、この映画の美点だ。

そしてラスト・カットの、ジャマールに継承されたウィリアムの部屋の窓から見下ろした、バスケット場。このバスケットは、黒人の得意技というイメージもさる事ながら、ちょっと深読みをしてみるなら、ボールが弾む音で「地面」を意識させる点が一つの効果を上げていたとも言えなくはない。この窓からウィリアムが見下ろしていた事と、かつて自分もそうであった「若い書き手」としてのジャマールの人生を俯瞰して見て助言をするウィリアムの役回りはリンクする。この、本=記憶の集積体である部屋にジャマールが入る行為は、ウィリアムの人生そのものに足を踏み入れる行為でもある。

一つ印象的だったのが、ウィリアムが部屋の窓を拭く場面。彼は窓の外にまで体を乗り出して、随分危ない格好で外側から窓ガラスを拭く。彼は決して閉じこもる一方の老人ではなく、可能な限り身を乗り出そうとする一面もある訳だ。

また、ジャマールの兄によって球場に入れてもらえたウィリアムが、ジャマールに、自分の兄と観戦した思い出話をする場面では、彼ら二人の兄との絆、そして彼ら同士の、文筆の才能で結ばれた絆が沁みる。

(評価:★3)

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