[コメント] 青空娘(1957/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
最近、映画を観ても(「猟奇的な彼女」)本を読んでも(「愛さずにはいられない」)なんとまあ、コレが恋愛か?コレが人を愛する事だとこの作り手たちは本当に信じて、表現しているワケなのかぁ??と心底憤って(かつ落ち込んで)いたので、「青空娘」でのマエストロ増村が憑依したかのような、若尾文子サマの「極東アジア地域での男性どもが幸せになるための法則」(なのか?)を声高らかにマニフェストするシーンでは感動の涙が流れた。
「そうだ、そうなんだよ!この極東アジア地域の一見文明社会に見えるが実は思いっきり村社会という国の中で、個人が大切にされ、自立し、本当に幸せになるためには、自分が自分であるために生きるためには、この恋愛という未開発分野の武器をこの国で、この国の男たちが自在に扱えるようにならねば、それは叶わないんだよー!!」(号泣)
もう、完敗。
一見「いまさまシンデレラ」物語なのに、この凝った物語の仕掛け。そのメッセージ。コンセプト。 今の日本でも十分に通用する。まさに奇跡の映画。
最近の表現者は子供も持たず、熱い恋愛もせず、その為か無機質なセルフィッシュ、あるいは自己愛的な表現の作品ばかりが目に付いて、受け取り手としては「憤懣やる方ない」という気分になっていたのだが、コレでその気分も一掃された。
真に人を愛する事が出来る人は、真に人間を描く事が出来る人である。 それは男女の愛であろうと、性愛であろうと、親子の情愛であろうと変わりはない。 愛の達人は表現の達人でもあるのだ。
その経験をした者にしか届かない、心の奥深い、共通の感覚に直接振れる事が出来るからだ。 その部分の触れられれば、その愛の経験がある受け手には、心に響き、深い共感と共鳴を呼び起こす。 映画の画面上で巻き起こる、普遍的な出来事が、表現が、特殊な個人的な経験や大切な思い出とシンクロし、新しい感情を呼び起こす。
まさに、映画の奇跡。
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