[コメント] 誘惑(1948/日)
まず、主人公二人、佐分利信と原節子の関係は、佐分利の恩師の娘が原、というものだが、恩師の墓参で久しぶりに再会し、訳あって満員の旅館でいきなり同宿(布団一つに枕2つですよ。つまり同衾)することになる展開だ。(勿論、お行儀よく並んで寝るだけですが)。このような唐突なプロット展開がエンディングまで目白押しだが、本作の奇異さということでもっとも目立っているのは実は全編を通じて反復される原節子の過剰な上目遣いのディレクションだ。特にラストのラストはいくらなんでも不謹慎だろう、という感覚を持つもので、流石は吉村公三郎、やってくれます。
ただ、この人達は勿論大真面目で真摯な映画作りをまっとうしているわけで、また当時の松竹の一流スタフの仕事ぶりなのだから、良いシーンも散りばめられている。中でも、佐分利の妻・杉村春子が入院している湘南のサナトリウム、この浜辺のシーンが全般に良いです。特に、子供達と原節子も見舞いに訪れるシーンの子供らの登場カットが、こゝだけ奇跡のような幻想的なカットになっており驚愕ものだ。(その後、浜辺で縄跳びをする子供らと原をえんえんと見せるシーンはかなりヘンですが。)
そしてタイトルの「誘惑」を表すプロットは、佐分利が講演会の出張先で倒れ、駆けつけた原との旅館の場面なのだが、こゝでの原のビールを飲むカットが真面目に良いカットだ。私生活でもビール好きということが伝わる原節子。実に美味しそうに飲みます。これはちょっと後世に保存すべき、お宝カットではないか。その後のダンスシーンで二人の足(脚)をえんえんと映すのは浜辺の縄跳びのシーンと同じような奇異さだが力強い演出ではある。という訳で、いろいろな意味で、もう少しカルトっぽい人気が出ても不思議のない興味深い作品だ。
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