[コメント] ココニイルコト(2001/日)
堺雅人に話にしかならない自覚が手術ネタを空転させた結果、堺が真中瞳の自愛のオカズにしかなっていないような迫力へと転倒が起こる。あのほくろが本体であるような怯えとともに、野趣の晴れやかさが広がる。
救いの手が勝手にやってくるハーレム映画がほくろの吸引力を実証し、身体機構を一個の徳にするのである。
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