[コメント] 千と千尋の神隠し(2001/日)
手元にそのテキストがたまたまないので、うるおぼえになるが、たしか、司馬遼太郎が「宮崎さんのアニメはほとんど見てます。」というのを受けて、宮崎さんがかなり照れて、もののけ姫のコンセプトを熱心に語っていた。やはり、感性だけがたよりみたいなアニメ界で、ほんものの作品は、その根本の考え方=コンセプト=思想みたいなものが、明確である。もちろん、もともとのリビドーは、無意識の中から出てきた、人々の神話的な、あるいは夢的な集合的な無意識が宮崎さんの作品の、特徴なのだが、その曖昧なものをしっかりビジュアルにまとめあげる想像力が素晴らしい。絵コンテと言われる彼のその一番最初のイマジネーションのひらめきをジブリ森の美術館で見てきたけれども、黒沢明同様、すみのすみまで、まず絵がリアルにあるのである。描き始めてから脱線することもあるのではあろうが、ナウシカのようなビジュアルがまずある。
司馬さんが言う。「子供の心をもっていない大人はだめです。大人になって成功している人はたいてい心の中の子供を上手に育てているのです。」 というような言葉だったと思う。
宮崎さんはたしか、「僕は子供用にはアニメを描いていないんです。」と 彼らしく言った答えだったので、僕はそのふたりのやりとりに、感動した。
なにやら、大きな子供がふたりで、50.60才になっても夢をおい続けているのが素晴らしいと感じた。
僕はこの「千と千尋の神隠し」の顔無しがどうだとか、あのばあさんがどうだとか、「何を意味しているか?」 ということにはまったく興味がない人間である。
現代人の癖であるのだが、すぐ意味をみつけようとする態度である。
宮崎さんはそんな意味を読者に探させたり、高い立場から観客に教えを諭しているわけではあるまい。
まず、子供には笑ってもらい、はらはら、してもらい、日本=ジャパンの2400年が持っているいろいろな、「物語り」を楽しく見せているのだ。 たんなるお化けの説明なら、日本のお化けの世界に誇る水木しげるを読めといいたい。笑い。すごいぞ。
300年しかないアメリカの文化に影響されまくった、ここ50年の歴史もこのアニメで終わろうとしている。 コカ・コーラ。ハンバーガー。ジーンズ。ロック。軽薄で分裂ぎみの文化 人々はあの物語りのなかに、なにやら、どことなく、不思議にも、なんというか妙になつかしい、日本の故郷のもう皆忘れ去った何かを無意識に感じ取り、原点に立ち返ったうれしさを感じていると僕は思う。
宮崎さんが天才的なインスピレーションとコンセントレーションで、夢の奥の中から引っぱりだしてきた「何か」と、僕らの夢の奧の奥の中の「何か」が、共鳴しているのである。現代人の大好きな「分析癖」とか、「意味探し」ではなく、その共鳴こそが、「本当の感動」だと思う。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。