[コメント] 千と千尋の神隠し(2001/日)
この作品、実はその導入部分に重要な意味があると思えるのだ。 大人の好奇心に無関心な子どもが付き合わされることから始まり、役立たずな大人と試練に置かれる子どもへと状況は一変する。
この流れの中で、大人の観客は、最初は今の子ども(千尋)を何とも覇気が無いなどと観て居ただろうのに、大人が役立たずな豚になる頃には自然とストーリーに翻弄される千尋に子どもに返った気分で感情移入していたのではないだろうか。一方、子どもはつまらない日常から否応無しになんとかするしかない世界に放り込まれて、千尋を応援していたのではないだろうか。この映画はこうして初めて、子どもも大人も楽しめる作品として幕を開けることに成功した様に思うのだ。
不思議な世界での出来事やキャラクターに宮崎流のいろんな思いが現れているとは思う。観客は、そこに忘れかけていた大切なものを思い出したり、自分が知らない内に子どもの頃とすっかり変わっていたことに気づいたりもする。
しかし…。困ったことに、物語がラストを迎え、現実の世界に戻っても、大人の観客は、千尋に感情移入したままになって居る様な気がするのだ。子どもの観客は、恐らく千尋と一緒に現実の世界に戻り、幾分すがすがしい気持ちの子どもになって映画館を出る。しかし、大人の観客は、懐かしい子どもの頃の気持ちを抱いたまま、大人に返ることなく映画館を出ているのではないか?
宮崎氏はこの作品を今の10代の少女のために作ったと言っている。大人が子どもの頃の思いや体験を懐かしむ為に作ったのでは無いと言うことは、忘れてはいけないことの一つだと思う。恐らく、大人たちは、宮崎氏自身がそうであった様に、子どもたちにこうした魅力的な世界を提示し、或いは体験させることをしなくてはならない様に思う。
ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したときの宮崎駿氏の言葉が強烈だった。
「自分たちもビデオを売っているが、ビデオを見たりゲームをして何時間もテレビの前にいることで、まともな子供が育つわけがない。喜ばれれば喜ばれるほどジレンマを感じる。この国の一番大きな問題」……
これから、DVD、ビデオが販売され、レンタルも可能となるのだが、大人が子どもと一緒になって「良い映画だったね。」と言っていてはいけない気がする。大人が現実に帰らないまま、この作品を観続けることこそ、役立たずな豚になる道なのではないだろうか?
大人がビデオを買い、子どもと一緒になって観ようとする姿は、トンネルの中に千尋を連れて行くのと同じ。人の作った料理(宮崎氏の作った作品)で子どもを満足させようとするのは、気付かぬ内に豚になっていくのと同じ…しかし、そうなった時、大人は映画を観ていた時と違って、千尋と一緒に冒険することはできず、何にも気付かずに豚のままいるしかないのだ。
そう思うと、宮崎氏が湯婆に見えてくる。「(子どもに夢を持たせる)仕事をしない奴は豚になる。」…
この作品、現代の子どもを応援する一方で、実は痛烈な大人批判をしている様な気がする。大人は、映画を最後まで観て、いつまでも子どもの頃を懐かしんでいる場合じゃない。そんなことじゃ、大人はみんな豚になってしまうと宮崎氏は警告している様に思うので候。
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