[コメント] 機械じかけのピアノのための未完成の戯曲(1977/露)
ミハルコフがチェーホフ好きなのは有名だが、この短編の描写にミハルコフとチェーホフの生い立ちが重なる。いずれも貴族的だ。この退廃の描写はロシア映画というよりもフランス映画、あるいはヴィスコンティ的でもある。
情けない終局。これが貴族だ。これが退廃した貴族の現実。19世紀の退廃貴族の現実である。貴族には貴族のバランスがある。貴族であることの無気力な価値。存在そのものを価値となす。これが現実である。
この文学的表現を映画に取り入れたのはミハルコフが初めて、というわけでは決してないが、時代に翻弄されることなくチェーホフをこれまで朗読するがのごとく表現した人はこの人がはじめて。映画的な瞬間にこそ欠けるが、文学体験を映像によって経験できる慈しみに感謝せざるを得ない。
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