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[コメント] テルミン(1993/英=米)

「“ドラマティック”なドキュメンタリー」とは、はたしてアリなんでしょーか??
あまでうす

「“ドラマティック”なドキュメンタリー」というものが最近、目に付きます。ある人物たちに密着した、どっちかっていうと主観的な、感情的な視点で撮られたドキュメンタリーです。これらのドキュメンタリーでは、問題提起や主張よりもむしろ、採り上げた人物や出来事に対する視聴者の興味を満たし、そこから“感動”を引き出そうとすることに重点が置かれます。まるで、実話を元にした映画のようにです。

しかし、ドキュメンタリーと実話を元にした映画は明確に区別されています。前者は「報道」であり、後者は「芸術」です。人がドキュメンタリーで涙を流すのは、採り上げられた事実そのものに感動するのであって、ディレクターの演出に泣かされているのではありません(し、そうであってはなりません)。でも、ドキュメンタリーチックな映画で人が感動を覚えた場合は、その監督の才能が評価されるべきです。なんか小難しい屁理屈っぽいですが、これは絶対に注意すべきことだと言い切れる自信があります。

事実そのものに人が感動するためには、事実そのものをできるだけリアルに、生々しく視聴者に伝える必要があります。事件の当事者や、当事者にできるだけ近い人(家族とか恋人とか、友人とか同僚とか)にかならずインタビューするのは、そのためです。ある人物に24時間密着して、逐一その行動を追うのもそのためです。「生の声」とか「隠された素顔」とか、よく宣伝文句にあるでしょ? ドキュメンタリーは、そういうリアルな事実をどれだけ正確に、鮮やかに撮れるかという点に、すべてがかかっていると言っちゃっても言い過ぎではないんです。

さて、この『テルミン』。この作品のほとんどは、インタビュー映像とテルミンの演奏(映像や音)で占められてます。テルミン演奏の映像と音は、まさに新鮮な驚きで、クララ・ロックモア女史の神がかった演奏は特に引き込まれてしまいます。いやいや、なんと不思議な楽器なんでしょうか。テルミンの魅力を知っただけでも、このドキュメンタリーを見たかいがあったってもんです。一方、インタビューですが、正直がっかりでした。そりゃ、テルミン博士にじかに関わった人々(そして彼を愛した人々)の話は興味深かったし、すごく生々しかった(特に、ソ連でのエピソードなど)。私が気に入らないのは、インタビューされた人々の表情。いや、振舞いというか。あきらかにカメラを意識してる!(誰とはいいませんが、なんとかウィルソンとかいう人が特に)本人が本人を演じている!! これでは、生な感動は伝わってきません。できのわるい芝居を見ている気分。いかにカメラを意識させないでインタビューするかが、ディレクターやインタビューアの腕じゃないんでしょうか?

ドラマチックにしようとすればするほど、感動がそがれてしまうという矛盾。「ドラマチックなドキュメンタリー」を撮る場合は、この矛盾と戦わなきゃならないんです。

(評価:★3)

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