[コメント] 帝銀事件 死刑囚(1964/日)
事件の顛末を一気に語る前半が圧倒的に面白いのだが、平沢登場あたりから勢いが減速し法廷場面で映画が停滞、平沢と娘の顛末は陳腐に堕する。つまりは、事件に対する立ち位置が、客観から主観へと移るにつれて技法で思いが制御できなくなっているということ。
(ぽんしゅう)
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