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[コメント] NO FUTURE A SEX PISTOLS FILM/ノーフューチャー(2000/英)

ジーザス野郎にしてジーザス。ジーザス!
煽尼采

Sex Pistolsの活動期は、僕が生まれた頃の話。再結成時のライヴをテレビで観た印象も「あー…なんだこれ」という感触。その番組でゲストのドリアン助川なんかが嬉しそうに喋ってるのを眺めつつ、「懐かしめる人の為のバンドでしかないんだな、これは」という、最悪な結論を出さざるを得ないのでした(コレと同じパターンが細野晴臣&高橋幸宏によるスケッチ・ショウ)。

が、このドキュメンタリーは、熱い。あたかも、ゴミ溜めの中から噴き上がる悪魔の胃液のようなバンド、それがセックス・ピストルズ。そんな、最悪にして最強な結論を出さざるを得ないのでした。正直、メンバーの顔と名前が一致しないので、映像に被さる彼らのインタビュー音声は、誰が喋ってるのか分かんなかったんですけど…。

当時のライヴ、ニュース、音楽番組等々の映像と、シェイクスピアの舞台やアニメーションを自由にサンプリングしたこの作品の作り自体、結構パンク。所々に挿入される、関係者へのインタビュー映像中、元メンバーのシーンでは、彼らは影に包まれて顔が見えない。これって、彼らの身の安全を考えての事なのかな。実際、活動していた頃には、路地裏で刃物で斬りつけられたり、ライヴ中に缶を投げつけられて出血したり、色々大変だった様子。

「彼らは人類の敵だ」と叫ぶ牧師の姿に象徴されるように、当時のイギリス社会での反応は、かなりヒステリック。世間に唾を吐きかけた彼らは、世間からも唾を吐きかけられる存在だったようだ。だがピストルズがそうしたのは、社会の底辺から這い上がる為の手段であり、苦しみを吐き出す表現の為だった。そうして、音楽業界という大資本を手玉にとり、既成の秩序に一泡吹かせようとした彼らだが、結局は、そのスキャンダラスなイメージだけが、消費される商品として利用されていく。

富裕層の出身のくせに、ファッションとしてピストルズを模倣するファンたちへの吐き気。ピストルズの破れたジーンズは、彼らが、安物のジーンズさえ買えない階層の出身だからだが、「ファン」たちはそれを反抗的なスタイルとして模倣する。レコード会社や、お上品な市民社会に反逆し続けたピストルズも、自分たちを底辺から支えるファンまでもが資本に取り込まれていく状況や、スキャンダリズムによるイメージ戦略を仕掛け、ピストルズの音楽に価値を置かないマネージャーらに追い詰められ、遂にパンクする事に。短くも激しい一生、というやつですね。尤も、マネージャーのマルコム・マクラレンに関しては、功罪相半ばする印象ですが。

親友シド・ヴィシャスの破滅していくのを止められなかった悔しさを、涙ながらに語るジョニー・ロットンの姿は、当時ファンだった人には余計に、胸に迫るものがありそうな、感動的な場面。だけど僕にとって一番印象的だったのは、ストライキ中の消防士たちの家族を招いての、無料ライヴのシーン。ピストルズのメンバーたちは、クリスマスケーキを子供らにぶつけられ、大笑いする。この場面を見て思い出したのは、公序良俗を破壊するピストルズのライヴに対抗し、会場前で“きよしこの夜”などというものを合唱する群衆の姿。このシーンでは笑わせてもらったが、こうした、中流以上で、貧乏の底を舐める生活とは無縁な連中のクリスマスとは、一体何なのか。昨日も今日も明日も、平穏無事に暮らせる事が当たり前の階級に生れついた幸せを、当然のものとして肯定する儀式としてのクリスマスか?彼らの偽善や独善と、ピストルズの露悪趣味、果たしてどちらの方が悪趣味なのか。

むやみやたらと唾を(比喩的な意味に於いても)吐きまくるピストルズを、僕は「クール」だと肯定する気にはなれないが、常に差別される側に立ち、社会の保護を求めず、穢れと罪とを引き受けて、社会によって十字架にかけられるピストルズは、ヒステリックな牧師などより、ずっとキリスト的なようにも見える。フリードリッヒ・ニーチェといい、マリリン・マンソンといい、「アンチ・キリスト」を叫ぶ人間は、実は十字架を受け継いでしまった存在なのかも知れない。

いずれにせよ、日本で所謂「パンク」スタイルをやってるバンドの殆どは、ルーツ無き、嗤うべき戯画でしかない事が分かっただけでも収穫だ。貴重なドキュメント。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)Myurakz[*]

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