[コメント] シュレック(2001/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ドンキーとドラ子(あのドラゴンの雌ですが、彼女、名前あったのかなあ)である。
フィオナが美女に戻らなかったというオチを斬新と取る向きは解らないではない。この終わり方はこの終わり方で良いと思うし、美徳を見出すことはできると思う。ただ、一方で思うのだ、これを斬新と取るのは100%人間の側からしか見ていないんじゃないかと。俺みたいな、ガキの頃から怪物の側に立って見てしまう奇特な人間の目からすると、このオチは斬新でも何でもない。むしろ、一種の落胆を伴う側面があった。だって、結局、怪物があてがわれたのは怪物の花嫁だったのだ。異種間の壁を乗り越えようというタブーの物語が、結局一方が一方の同種になり果てることで事なきを得たと見えてしまうのである。
いや、じゃあ、フィオナが美女に戻れば良かったのか?おいおい、それじゃあ、『美女と野獣』だろ?――そんな声が聞こえてきそうだ。
よろしい。どうすれば良かったのか、教えましょう。フィオナはあのラストであの体型・あの顔立ちのまま色だけ(肌だけ)人間のそれに戻れば良かったのである。つまり、フィオナは人間のブスな子でしたというオチにすれば良かったんだ。ブチャむくれた顔ではあるが、彼女は誰より美しく、その美しさを怪物だけが難なく見抜くのだ。
とすれば、俺が見たかったものをメインカップルの傍らで体現していてくれたのが、ドンキーとドラ子である。体の大きさを始め何かも違う、同種ではなく、異種間の恋――この映画、意外なほどキャラの書き込みが繊細で、それを演出するカットバックやその繋ぎなど大変凝っており、わけてもあのカットバックでドラ子がドンキーを訊ねて来てしまうカットの孤独を包み込む優しさが好きだ。
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