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[コメント] 殺し屋1(2001/日=香港=韓国)

全く期待してなかった側から愛の物語を突きつけられる。相変わらず三池監督は原作を自分のモノとして巻き込んで作り直しているが、今回は最も成功した例。ってなことより、グロも入れてやって、この深遠な愛に浸ろう。かい?(推奨疑問文)
ALPACA

もう、誰も読まないよねえ。というわけで、またダラダラ書き足すわ。

しかし、三池監督はこの映画で何も人生を描こうともしてないだろうし、本気で男と女の愛を描こうとしたとは思えない。これは、ただの疾走するプログラムピクチャー。それだけのことだ。

私は歳をとるにしたがって、次第に過剰になっていく自分に気づく。何もかも摂りすぎる。あるいは、何もかもをとりたくなくなる。どこまでも、やり続けたくなるいつまでも、やりたくなくなる。なんで、そこでやめるの?なんで、もうやめるの?

私が映画を観ていて安心するのは、そこには過剰な人たちがたくさんいるからだ。そうそう。もっと、もっと。私はついていくよ。そして、実に映画は過剰なる人々を登場させる。そこに「愛のため」という言い訳をつければ、映画は「それはないだろう」というツッコミも忘れさせるようにして、最近のラース・フォン・トリアー一連の、愛のためなら私は捨てる。という路線が、人々を涙させる。そして、これが、愛のためなら「殺されたい」となると。これは観る者をひかせる。それは私にとっては全くもって、等価で、どちらも過剰な愛しい人々なのだ。

ってさ。もう映画評じゃないじゃん。これ。別に三池監督をサブカルの旗手のように崇めたてる気持ちはサラサラありませんが。ただ、それこそ漫画のように、ヒトコマヒトコマを銀幕の向こうの観客のために、いかに頬を張るのか体を使って考えているB級魂がスキよ。と、こっそりつけたす。

(評価:★5)

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