[コメント] 仄暗い水の底から(2001/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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出てくる男がことごとく物語の核の部分に影響を及ぼさないという意味では、見事なまでに「男性不在」の映画。それはこの物語の核に「母性」というものがあるからで、母と「息子」ではなく、年を経れば与える側になる「娘」との関係を描いていることでも徹底している。
そしておそらく大方の人が不可解に思うのは、なぜ娘を置いてまで自らの母性を女の子の霊に与えてしまったのか、ということ。ただ物語がいびつなだけなのかもしれないけど、個人的には「わが子」という特定の対象に向けられたものだけではなく、対象を見失ったとしてもなおそこにある、曖昧で抽象的な「母性」という存在を描いているからではないか、と解釈してみたりする。
母性とは、子を持ってはじめて生まれてくるものなのか、それともそれ以前に体内(子宮)に宿っているものなのか。ここでは「母親不在」という幼時のトラウマが物語の引き金となり、母親ではなく「母性」そのものに亡霊が取り憑くことで、そもそも具体的な理由以前に存在しているかもしれない「母性」というものを浮き彫りにする。・・・と解釈してみると、非常に懐の深い物語にも思えてくる。
しかしあくまでそうであったら面白い、という個人的解釈であって、(原作者も含め)作り手側が果たして「男性不在」であることにどれだけ意識的であるか、物語の顛末にある種の責任を負っているかというと、かなり疑わしい。「母性」の物語(でなければ母と子の愛の物語でもいいけど)にしては、あまりにも温もりに欠けてはいないだろうか。個人的に決定的に不満なのはラスト。「私の知らないところでずっと私を守っていてくれた」みたいな取ってつけたモノローグでは、何も伝わらないではないか。
この映画の重要なモティーフとして「水」がある。それは恐怖や不安を誘引するものであったり、脅威となりうるものであったり、悲しみの涙であったりと、様々な形で画面を満たしている。しかしそれだけでは悲しい。水は対象を包み込む羊水でもあり、傷口を癒す水であったり、全てを洗い流す浄化の水にもなり得るはずだ。そんな意味を込めて、ラストは何も言わずに、ただ静かに雨を降らせて欲しかった。娘に枠を失って漂い続ける母性の温もりを肌で感じさせるには、この映画で「水」以上にその役を果たせるのものは他にないと思う。
本来「水」というのはそんな懐の深いものであり、見る側の心の有り様を映し出す「鏡」のようなものでもあると思う。それを顧みずにただいかにして水を怖く、ということだけに神経を尖らせて撮っているのはどうなのだろう。ただの真っ当なホラーならいざ知らず、確かにそこに漂う「母性」があるというのに、怖い怖いと騒いでばかりいるのでは、それはあまりに悲し過ぎるじゃないか・・・。
(2005/11/22)
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